今年のあなたはどう成長しましたか?
そう問われて、私はすぐに返事ができない。
しかしどうやら私と周りの評価が違うように感じる。
自分はそこまでできた人間ではないのに、自分の感覚とは裏腹に株だけ上がっていく。

「睡蓮ちゃんは十分できているのに完璧を求めすぎなんだよ」
「3年目とは思えない程の働きぶりで、いつも助けられてます」
それらの言葉は本当は嬉しい言葉なのだろう。
しかし、自分の感覚との乖離に時々苦しむ。
私は自分が何かを成し遂げたり、成長したという感覚が希薄なのだという。

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入社して3年目、所属部署において私は未だに年次が一番下だ。
元々新入社員が入るような部署ではないため、同期含めた私たちは形式上、永遠の末っ子だ。

去年まではまだまだ業務を覚えることが第一で、先輩達についていくだけでよかった。
しかし、毎年他部署からの異動があり、年次は下でもこの部署での経験年数は先輩とういチグハグな状態が増え、日によっては私が一番経験年数が高いと言った日が存在することも見られるようになった。

ついていくだけでいい、どうせ最後には先輩がチェックしてくれるから。
そんな甘ったれた2年目とは大きく異なり、私がその日の業務を引っ張っていくんだという使命感が徐々に生まれ始めた。

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とはいうものの、ここでの経験が少ないとはいえ、他部署でそれなりの地位に上り詰めた人間がやってきている、すなわち相手を敬う姿勢を忘れずに、気づかれぬように軌道修正することが重要だった。そして何より、自分自身の力があることを証明しなければ人はついてこない。私は自分の業務に対する疑問や違和感へのセンサーを研ぎ澄ませ、愚直に理解、解決することに重きを置いた。

また、各人毎に決められた役割はあるものの、チームで仕事をやる上で、気づいた人がやればいいと私は思う。これはあの人の仕事だからと線引きするのではなく、出来ることは積極的にやるという姿勢を意識しこの一年を過ごした。
私にとってそれをやることは息をするのと同じこと。
当たり前のことだった。

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しかし、いつしか年次が上の先輩や経験年数が上の先輩からも頼りにされるようになった。
「本当によく勉強しているね」
「睡蓮の作成した資料のフォーマットの出来がいいから、借りて資料作ってもいい?」
「睡蓮は本当によく気づく、やろうと思ったことが全て終わっているんだ、すごいよ」
「まさにアサーションの鬼だね」

日常の仕事でこういった言葉を投げかけられることが格段に増え、先日行われたスキル確認での総評にも良いことばかりが記入されていた。また、管理職との面談の際も私の今後のキャリアがより良いものになるよう部をあげてセッティングしているとまで言ってくださり、力をかってくださりありがたいなあと思いつつ、少しだけ重荷を感じてしまった。

人から褒められるのは嬉しい。
その一方で、今の私からしてみれば当たり前だと思ってしてきたことを評価されると、ありがたい反面、申し訳ない気持ちも同じ大きさで生まれてくる。
周りの描いている私の偶像がいつか崩れた時、私の周りから人が離れていくのではないかという思いがどうしても拭えない。

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世の中には自分が過小評価されている、自分の価値はこんなものではないと嘆いている人を多く見かける。そんな人たちからすれば私の悩みはきっと贅沢なのだろう。
だからこそ、こう言って評価されていることをありがたいと思い、みんなの描く素晴らしい睡蓮という偶像に現実の私が近づくことができるようこれからも努力していきたい。
私の仕事ぶりを評価し、私の能力を信じて未来に向かってサポートしてくれる全ての皆に感謝し、来年はもっと輝く睡蓮をお届けしようと思う。