中学から大学まで体育会の部活にいたわたしは、人生の約半分を後輩として、そして先輩として過ごしてきた。ほかの人たちの話にはよく「嫌な先輩」が登場したけど、わたしの後輩人生に「嫌な先輩」は一人もいなかったように思う。
もちろん、先輩のやり方に疑問を抱くことや、ムカつくことがなかったわけではない。でもそれ以上に、先輩は強く、優しく、偉大だった。

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「先輩にしてもらったことは、先輩に返すんじゃなくて、後輩に返すんだ。それが先輩への恩返しになる」
中学時代の恩師の言葉。当時は大して気にも留めずに聞き流していた。
その言葉の意味をちゃんと理解したのは、大学の部活に入ってからだった。

学内のコンビニで会った時、練習後にご飯を食べに行った時、必ず先輩が奢ってくれた。
初めて奢ってもらったときは、驚きと申し訳なさでいっぱいだったのを覚えている。遠慮すると、先輩は「後輩ができたら奢ってあげな」と笑った。
先輩だから奢るだなんて少し時代錯誤のようだったけど、「これがこの先輩の、先輩への恩返しになるんだろうな」と思った。
そして、自分が先輩大好きな後輩だったからこそ、自分も後輩が大好きになれる先輩になろうと思った。そう思える先輩がいることは、とても幸せなことだったから。

時が経ってわたしも先輩になり、後輩に奢る機会ができた。遠慮する後輩に、かつて自分が先輩に言われたことを言った。
後輩という存在ができるのは初めてではなかったけど、自分がちゃんと先輩になれたように思えたのは初めてだった。
そして、心のどこかで「先輩も無理してるんだろうな」と思っていたことが、全然そんなことなかったんだと、自分の経験で知ることができた。後輩に奢ることは、万年金欠で有名だったわたしでも、なぜか苦にならなかったのだ。

そこから、「自分が先輩にしてもらえたら嬉しいことを後輩にやる」ということを大切にするようになった。ご飯や飲みに誘う、友達のように気楽に接する、些細な悩みを聞いて、本心で向き合う……。競技の技術面で教えられることは少なかったけど、「こんな人もいるなら自分も頑張れるな」と思ってもらえるように。

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大学時代に一度だけ、後輩の入部を断ったことがある。
長くアメリカに住んでいて、上下関係とか日本の体育会の雰囲気とか、全く知らない子だった。自分自身、体育会特有のノリとか実力主義で嫌な思いをしたことがあるから、そういうことで苦しんでほしくないと思った。

「部活に入るのって、すごく大変だよ。下級生ってだけで雑用もやらなきゃいけないし、全員と気が合うわけじゃないから、組織を回すためには苦手な人とも関わらなきゃいけない。うちは合宿もきついし、休みも週1回でしょ?楽しく競技がやりたいだけなら、外部のクラブのほうがいいと思う」

こうして書き起こしてみると、随分きついことを言ったものだと申し訳なく思うけど、結局この子は入部して、わたしと一番仲がいい後輩になった。
大学を卒業するときにもらった手紙には、
「先輩に憧れて入部したことを今でも覚えてます。部活に所属する意味とか、人間関係の築き方とか、全部先輩に教えてもらったと思ってます。先輩に救われた人はたくさんいると思いますが、わたしもその一人です。……先輩がいなくなるのは不安ですが、あと一年頑張ってみようと思います。大好きです」
と書かれていた。

後輩が大好きになれる先輩になりたいと思ったのは、わたしが先輩大好きな後輩だったのと同時に、後輩大好きな先輩だったからだ。
部活やバイトで仲良くなった後輩たちは、今でもわたしの宝物であり、支えになっている。
わたしが先輩の後輩だったように、この子たちもまた誰かの先輩になる。その時にこの子たちが迷わないように、わたしもこの子たちの支えになれたら嬉しい。