初体験がほぼレイプだったから、ベッドに入るのは大切な人だけなんて観念はもはやない。セックスは誰とでもできる排泄みたいなもので、そんな行為よりももっと深く、言葉で頭の中を交換しあえるような相手こそが本当に大切な人だと思っている。だからパートナーが風俗に行っても知人女性とヤっても何てことはない。性欲と愛情は全く違うんだから当たり前だ。みんなはやけに浮気に敏感だけど、私は逆に今後の一生分の相手の性欲を自分なんぞの魅力だけで満たしてあげられる自信は到底ない。ならいっそ、それぞれが自由に性を貪って、脳の芯の部分だけはお互いの秘密にするような関係の方がよっぽど美しいと思う。

世間から私は屑人間と呼ばれるそうだ

 こんな考えを言うとまず「変わってるね」と言われる。次に「本当に人を愛したことがないんだ」とも言われる。たしかに好きだのいう気持ちの正体はまだ説明できない。でも、最果タヒの詩について彼と語りたいとか、下高井戸シネマで観た映画の続きをあの人と想像したいとか、そんな感情が生まれることがもう私にとって大切な人である証拠で、そんな相手と一生を共にできるならこの人生が満たされていることは間違いない。世間のいう「愛」との相違はよくわからないけれど、これが私の基準だ。

 だから私は酒屋の喫煙所で話したお兄さんとも、出会い系で会ったドSおじさんとも、バイト先の後輩とも簡単にセフレになれた。誰かに首を絞められたい。狂うほどの快楽で満たされたい。夜の欲望を埋めるためだけの関係で、そこに思考の交換っこは必要ない。このなかにはきちんとパートナーがいる人もいるけれど、彼なりの正義を持って私と寝ているらしい。お互いに納得しあって成り立っている関係図ではあるけれど、真っ当な世間からみたら付き合っていないのにヤる私たちはみんな屑人間に分類されるそうだ。

 私は世間に汚いと思われても何も気にすることはない。割り切った関係なんだから何が悪いというのだ。だけど子どもを持つことについては別問題だ。私には子どもが欲しいという感情がわからないし、怖い。そもそも自分の欲望と感情の面倒だけで精一杯なのに。こんなに不完全な私なのに。世間の普通の感覚すら持ち合わせていない私なんぞの子どもに、いったい誰が生まれたいんだ。

 だけど同類でいるはずの彼らは一様に「いつかはいいパパになりたい」という。パートナーに承諾を得ずに会いに来て一線を超えているあいつも、結局は形ある幸せを求めている。付き合ってもないのに一緒に夜を過ごしてくれるあんたらに、私は感謝はしている。どうしようもなく肌が熱を帯びる時間を埋めてもらっていつも助かっている。だけど一つだけ言いたいのは、今誰かを裏切って生きているくせにいつかは普通の家庭で子どもを持ちたいなんてやっぱり、ずるい。

肉体ではない、心で繋がれた時。そこに幸せを感じたい

 ちょうど今片思いしている人とは一度だけ寝てしまったことがある。だけどその快楽の記憶は朧気で、むしろ毎日一冊は本を読んでて生涯続けたい研究テーマを持っているところとか、酒の席でも理想の死に方や反出生主義なんかをつまみに何時間も話し込んでくれる姿のほうがよっぽど心が動かされる。ちょうど一週間前も私の部屋で二人で飲んだが、セフレの話をしても全く引かずに、むしろ私が首絞めプレイなどを好むのはなぜなのかと、過去の生い立ちを深堀りながら一緒に考えてくれたりして一晩が明けた。セックスはしなかった。途中で「変だから好き」って言葉をくれた。付き合うまではいかなくても、その一言だけで満たされた。この恋は大事にしたい。

 結婚が嫌なわけではない。だがいつか結婚したとしても、私はきっと家庭の外に身体の関係を求めてしまう。歪んでいるといわれても、それしか私が私を全うできる方法はない。それも含めて理解し合えるパートナーを探せるのなら、結婚という形式に捉われようとは思っていない。性欲と人を愛することを別物として考えて、そのうえでの幸せの形を見つけてみせる。

 最後にこの文を読んでくださった方へ。今の私は「イタイ」ですか。醜いですか。でも私はきっと、誰になんと言われても今の自分が揺らぐ気がしないんです。「まだ若いからだよ」「年を経れば母性ってもんが…」。何べんも言われました。若さとか勢いとかそんな刹那的な決意ではなくて、22年間私なりにあがき切ったうえでの理想の幸せがこれです。私の人生です。私の物差しで生きます。世の中にはいろんな人がいるというのなら、私のような考えの人間も許してほしい。なら少し壊れた私の幸せのあり方も、こんな人もいるんだってどうか認めてください。