あの日、私はマンションの駐車場から、まるであざ笑うかのような雪を見ていた。なんとか持ち出した毛布を胸に抱いて、神はなんてことをするのだろうと、信じている神様もいないくせに思った。
2011年3月11日。私の誕生日で中学校の卒業式で、東日本大震災の日のことだった。

午後2時26分になるまでは、私は世界一幸せな子なのだと思っていた。
今日は15歳の誕生日で、中学校の卒業式。卒業式だから単身赴任の父も帰ってきてくれた。誕生日を一緒に祝ってもらえる。卒業証書を受け取るタイミングで、校長先生は私の生年月日を指さして「おめでとう」と口を動かしてくれた。卒業式が終わって、父と母と三人で昼ご飯を食べて、私の誕生日プレゼントを買いに、家電量販店までやってきた。
「すだれは何がほしいんだっけ?」
と母が聞き、
「イヤホン!iPodに使うイヤホン!」
と私が答え、
「お、いいね」
と父が返事をした。幸せってこういうことなんだろうな、と15歳まであと数時間の私は思っていた。その数分後に絶望するとはつゆ知らず。

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地震が起き、混乱の中、自宅に戻った。マンションはめちゃくちゃで、とてもじゃないが暮らせる状況ではなかった。妹を小学校まで迎えに行き、もう一度自宅に戻った。
迎えに行ったときはニコニコとしていた妹は部屋を見て泣き出し、私はなんとかしないとと思いながら、妹の頭を撫でた。
「大丈夫だよ、びっくりしちゃったよね。けど大丈夫だよ」
妹を慰めるために発した言葉だったが、妹を慰めるためというよりは、私に向かってかけた言葉だったのかもしれない。
避難所へ行こうと父が言い出し、私達はそれぞれ毛布やらタオルやらを取り出し、車へ積んだ。その時だった。雪が降り出したのは。

なんでこんな日に、こんな時に雪が降るのか。電気もガスも水道もなくて、震えることしかできない日に。神様はいじわるだ。なんで私の大切な日を台無しにする、こんなひどいことをするのか。誰も責めることができないから、信じていない神をひたすらに詰った。
ものすごく大きな地震だったこと、津波が起きたこと、たくさんの人の命が奪われたこと。それらを知ったのは避難所から数日経ち祖父母のいる山形に避難したあとのことで、私は私の被害なんかで絶望しちゃいけないのだと思った。私なんかが苦しみを口に出してはいけない。

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あれから12年が経とうとして、ついこの間観た映画に東日本大震災が出てきた。
感動も怒りも起きなかった。ただ、あの日の絶望が蘇ってきた。私の大事なあの日は、こんな風に描かれる日のはずじゃなかった。あの日は、私にとって宝物で、ほかの人にとってはただの日のはずだったのだ。それで良かったのに。

あの日から私はずっと寒かった。胸の奥底には誰にも分かってもらえない絶望を抱えて、けれどまるでなにもなかったかのように振る舞っていた。
15歳まであと数時間だった私は、そのままずっと止まっているし、ずっとあの日の灰色の空の下にいる。どうせ私の感情など誰にも分かってもらえないし、「分かるよ」なんて誰にも言ってもらいたくない。私の絶望は私の絶望で、共有できるはずがない。

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だけど、大丈夫なのだ。私の絶望は私が誰より分かっているし、灰色の空の下で立ち竦んでいる私のことを、今の私は抱きしめられる。
「寒かったね。私はあなたを見捨てないし、あなたの絶望ごと未来に持っていくから、安心してね」
と、言ってあげられる。
絶望も悲しみも、誰かと比較するものじゃない。絶対評価でしかないのだ。大丈夫。私がそう思ったなら、そうなのだ。私は私の絶望をして、いいんだ。