ありがたいことに、これまでの人生で私と仲良くしてくれる友人が何人かできた。高校の同級生や、大学で一緒に授業を受けていた友人、誕生日が同じ友人、似たような境遇で育った友人。

「友達って何だろう?」と悶々と悩んでいた時期があった。人付き合いは未だに苦手だ。そんな人見知りの私が、「遊ばない?」「電話していい?」と誘うのは、少なくても私にとって彼女らが友人である証拠だ。

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私は友人によって、接し方やテンション、会話の話題が変わる。聞き役として徹する私やたまに毒を吐く私、頭のネジが取れたかのようにハイテンションになる私。仕事の悩みや人生観から、オタクな話まで。友人それぞれにとって、私がどのように見えるか、どんな話をすることが多いかは確実に違うだろう。

これは決してネガティブなことではないし、友人ごとに接し方を変えるのは苦ではない。自分の多様な側面を、それぞれに認めてもらってると思うと嬉しい。私という人間像が変化しやすくて、安定していないだけかもしれないが。

しかし、最近友人とこれからどのように向き合うべきか悩んでいる。会いたいと思っても、自分から友人を誘うことが申し訳なく感じてばかりだ。彼女らの人生を邪魔してないかと、不安になる。

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友人のほとんどが社会人五年目を終えようとしている。新人と中堅の間くらいの立場で、日々職務を全うしている。もしキャリアアップを狙っているなら、今がきっと正念場だろう。

恋人との同棲や結婚の話をしてくれることも増えた。恋愛していない(できない?)私からしたら、結婚を前提に付き合って同棲するとか、結婚を見据えて相手の両親に挨拶に行くとか、まるで恋愛ドラマの最終章を観ている気持ちになる。二人の世界、その未来の家族の世界に、無碍に入り込みたくないと思う。

私たちの年齢を考えたらおかしくはない。友人は皆、自分の未来を築き上げている最中なのだ。一方の私は、自身のライフステージをさほど重要視していない。ゆるく生きている。

言い訳をするなら、新卒で入社した会社でトラウマを抱えた私は、メンタルの振れ幅が過度に大きくならないよう、ストレスを抱えすぎないことを意識して過ごしている。良くも悪くも未来のことは考えすぎないようにしている。

働く時は給料分しっかり働き、プライベートはひたすら趣味に没頭する。危機感はあるものの、やっと落ち着いてきたこの生活を失いたくない。

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こんな私を、友人たちはどう見ているんだろうか。年齢の割にふわふわ生きている私にとって、地に足をつけ、日々生活している友人たちは眩しく見える。学生時代、あんなに近くにいたからこそ、手の届かない存在になってしまうかもしれないと思うと寂しい。置いて行かれて寂しいなんて、私はまだまだ子どもなのだろう。大人になった友人たちを、きっとこれからも追いかけ続けるのだ。

来月、とある友人に一年ぶりに会う予定だ。彼女とは生年月日が一緒のせいか、好きなものは違っても波長が合う。たまに厳しいことを言われても、嫌な気持ちにならない。

そんな彼女は、現段階の私の認識では、結婚を前提に恋人と同棲している。それ自体は素敵なことだが、正直彼女が心配だ。恋人が過保護で、男性の連絡先を全て削除するよう言われたそうだ。相互フォローしていたSNSのアカウントも消え、今やライフラインであるLINEもアカウントが新しくなった。それがきっかけで、少し距離をとっていたのだ。

彼女は元気だろうか。やっと直接確認できそうだ。一年前はどんな風に接していたっけ、と思い出す。あれから恋人とどうなったかわからないが、どんな彼女でも受け入れるつもりだ。予定もまだ固まっていないのに、当日はどんな服を着ていこうか、何かを贈ろうか、と心が小躍りし始めた。楽しい時間になりますように。