「なつめ先輩、いつも私達のこと気にかけてくださるし、お点前はきれいだし、憧れの先輩です!」
会う度そんな嬉しいことを言ってくれるのは、高校時代の私の部活の後輩だ。
今ではすっかり先輩の私にも、先輩がいた時期があった。中学1年生の時、怖いだけだった先輩という存在が初めて格好いいと思った出来事があった。
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中高一貫校に入学した私は、6年も上の先輩の堂々とした雰囲気に気圧されて、入部した茶道部ではいつも怯えていた。年功序列の部活だったせいもあるかもしれない。とにかく優しく声をかけてくれる先輩が、申し訳ないけれど私は怖かった。
一方で、茶道は大好きだった。い草の香りも、お点前の優雅さも、お抹茶とお菓子も、茶禅の言葉の意味も、全部が言葉では言い表せないほど私を感動させた。
お稽古がある日は終礼が終わると一目散に教室を飛び出し、お茶室に向かった。まだ誰も来ていないお茶室で、外部から教えに来てくださる師範にお点前を教わった。
マンツーマンで見ていただいていた私は、自分で言うのもなんだが、ぐんぐん師範の教えを吸収し、上級生の半分以上がまだできないお点前にも挑戦するようになった。好きこそものの上手なれだねと師範は言った。
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優しい先輩方は生意気なと機嫌を損ねることもなく、素直にすごいねと褒めてくださった。本当に素敵な先輩方だった。だから私の気持ちの問題だけならば、先輩への恐怖心なんて大きすぎる問題ではなかった。
それだけならば。
一番の問題は、毎週外部から来てくださっていた茶道のアシスタントの方だった。
道具の管理や事務作業をしてくださる彼女は、先輩を差し置いて難しいお点前のお稽古をする私のことが気に入らないようだった。彼女の目に私は、年功序列を無視する、可愛くない1年生に映っていたのだろう。
気持ちは分かる。自分自身、格の高いお稽古をする時、いつも後ろめたい思いや居心地の悪さは感じていた。
彼女には、よく理不尽なことを言われた。
「手が冷たい人は心も冷たいのよ。そんな人が点てたお茶なんて飲みたくないわ」
それを聞いていた先輩や先生は気にすることないよと言ってはくださるが、発言力の強いアシスタントさんに良く思われていないのはやはりやりにくかった。
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そんなある時、茶道部に、外部のお茶会にお手伝いに来ないかというお誘いがあった。参加は希望者のみ、高学年優先だった。
私は行きたい気持ちは大きかったが、1年で優先順位の最も低い私には難しいかもしれないとも思っていた。裏を返せば参加希望は出せると当たり前のように思っていた。
私が参加希望のための用紙を持っていくと、アシスタントの方は一瞥して言った。
「あなたは参加できないから」
「すでに先輩方で定員が埋まってしまったということですか?」
「……」
「お忙しいところすみませんでした。失礼します」
茶室に戻っていると、先輩に声をかけられた。希望した上級生全員が参加するとしても、まだ定員には余裕があるはずだというのだ。他の同級生は希望していなかったから、用紙を受け取っていただけなかった理由として思い当たるのは、あまり考えたくないものだけだった。
私の憶測が当たっていたとしても私にできることはない。本人に掛け合うほどの勇気もない。仕方なく諦めようとした。すると、先輩が私の手を引いてスタスタと職員室の方へ向かった。
◎ ◎
顧問の先生を呼び出す。
「なつめちゃんは一生懸命お稽古に励んでいます。お点前も1年生とは思えないくらいです。普段のお稽古ならまだしも、お茶会ではどうやったらお客様に喜んでいただけるかを最優先に考えなければいけません。そう考えると学年に関係なく意欲がある人をお茶会に出すべきです」
私が諦めようとしていたことを、関係ないはずなのに私よりも一生懸命に、先輩が掛け合おうとしてくださった。
結果、先輩の言葉を聞いた先生がアシスタントの方に代わって参加希望を受け付けてくださることになった。
「発言力があるだけ、権力があるだけの先輩にはなりたくないの。私の憧れてた先輩はいつも部員のことを考えてた。私はその人の背中を追ってるだけ」
先輩だから、もっと言うなら副部長だから、お点前が誰よりも上手くなければ、威厳がなければ、そういう考え方を先輩はしていなかった。誰よりも部員のことを見て、部員のことを考えられる人だった。
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先輩を格好いいと思った。怖いという気持ちは失せていた。今まで自分から先輩に声をかけるなんてできなかった私は、それからその先輩に色々なことを聞くようになった。お点前も、考え方もたくさんのことを教わった。その先輩もまた同じ事を憧れだったという先輩にしてもらっていたのだろう。
やがて先輩は卒業し、私が最高学年になった。なつめ先輩といつも声をかけてなついてくれる後輩は、あの時の私のようだ。そして今度は私が卒業し、その後輩も今や最高学年。こうして、みんなが憧れの先輩になり、後輩は憧れを追いかけていく。
誰が憧れの始まりかなんて分からない。始まりなんてないかもしれない。ただ一つ言えるのは、先輩という憧れの像が各々の中にあって、きっとみんなが少しずつ違う自分なりのやり方で、憧れに近づけるよう努力してきたのだろうということ。そうして茶道という長い歴史の一端を、学校の茶道部という小さな場所で立派に継承していっている。
それは言葉にできないくらい、健気で、温かくて、かけがえのないものだと、卒業生として訪れた久しぶりの茶室で私は思う。