思い返せば、文章を書くということは沢山あった。作文や読書感想文、小論文、レポート。またこれから、就活でも文章を書くことがあるだろう。
何年も文章を書くことをしているのに、私は一向に文章を書くことが好きになれない。自分の伝えたいことや考えたこと、起こった出来事をSNSで軽く発信する程度の短いものならスラスラかけるが、長く、畏まった形式で、更に「書け」と言われると筆がすすまない。結局何を伝えたいのか分からない文章になってしまうのだ。
今までは文章を書くことへの苦手意識に対してどうでもいいと感じていたのだが、歳を重ねるにつれ、「書く力」への劣等感がどんどんでてくる。この20年間で沢山の人と出会い、沢山の人の文章を読んできたが、「書く力」がある人の文章は本当に面白い。休みなく見たくなるのだ。その度に私の文章能力の無さを見せつけられた。
でも、文章能力がある人に文章を書くコツなんて聞いても当てにならない。聞いてもそれが実践できないのだ。
そんな私にも過去に一度、文章を褒められたことがあった。
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小学生の頃、夏休みの自由課題で私は家族旅行で行った屋久島をまとめた旅行bookを提出したことがあった。行ったところやそこで感じたことや思い出を書いた作文と、写真をまとめた短い本だった。
私としては理科の研究とか、貯金箱とかの図画工作より、だいぶ楽しようとした結果のものだった。夏休みの自由課題は、夏休み明けの授業参観の時に全員分渡り廊下に展示され、誰もが観られるようになっていた。
当たり前に旅行bookのような作文を絡めたものを提出したのは私だけで、あとで「手抜きしすぎたな〜。みんなと同じ貯金箱とかやればよかった」と思ったほどであった。
授業参観が終わった2週間後、担任の先生に呼び出され、そして手紙を渡された。見ると授業参観に来ていた誰かのおばあちゃんからであった。
「あなたの自由課題を見ました。思わず手紙を書きました。屋久島の魅力が素直な文章によって伝わって、、私も旅行に行きたくなりました」
便箋1枚に私の作文を褒めてくれる言葉と、旅行に行きたくなったということが書いてあった。本当に私は文章を書くことが苦手で、多分これを読んでいる人も私の文章をつまらないと思っているだろう。だが、この人だけは凄い褒めてくれたのだ。
屋久島旅行の作文は、力を込めて書いたわけでもなかった。屋久杉が大きくてとか、ウミガメの産卵は思ったよりあっさりしていたとか、トビウオは美味しいけどなんであんなに飛ぶ必要あるんだろうとか、頭で思ったことをそのまま書いた小学生ならではの作文であったと思う。
しかしそんな私の文章がおばあちゃんを楽しませて、そしておばあちゃんの文章が私を喜ばせた。伝えたいこともしっかりと伝わっていた。
文章って書くのは大変だけど、悪くないなと感じた経験であった。
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別に文章の才能が開花されたわけではないので、それ以降読書感想文で賞をとるようになったわけでもなく、レポートがすらすら書けるようになったわけでもなく、文章を書いたことによって良かったとここまで思った経験は無い。
だが、素直な私の文章を褒められた経験は、文章を書くことへのハードルを下げてくれたに違いない。そして、文章を書くときに、技術を磨くことはもちろん大切なのだが、自分の思ったことを素直に表すことも大切なのではないかと思えた。
例えば、今いちばん身近な文章を書くことは、メールやLINEだと思う。私は作文やエッセイとメールやLINEは、同じ程度のものでいいのではないかと思う。友達に話す感覚で、畏まった知らない単語を使うのではなく、自分が使う身近な単語を使用する。伝えたいことはそうやって伝えやすくする方法があるのではないか。
もし私と同じように文章を書く時に手が止まってしまう人がいるならば、友達にLINEするみたいな感覚で一旦書いてみたらどうだろうか。案外スッと書けるものかもしれない。
文章を書くのが苦手な私による、文章を書くのが苦手な人のためのちょっとしたアドバイスである。