思えば物心ついた頃から、華のない、どんくさい子どもだった。
運動神経はゼロどころかマイナスの領域。体育の時間は、邪魔にならないように隅っこでなりをひそめ、授業終了のチャイムが鳴る瞬間を、一日千秋の思いで待っていた。

ピアノやダンスを習っていた時期もあったけれど、習い事を離れた学校という場で披露するなんてもっての外。学校行事の音楽会でソロや伴奏を務める同級生の華やかな女子たちを、羨ましい思いで眺めていたっけ。
要領が悪く機転の利いた行動が根本的にできない、まあ我ながら本当に見ていてイライラするような子どもだった。

ちなみにここまで過去形で書いているが、成人した今でも私は子どもの頃から進歩していない、華のない、どんくさい大人であると自覚している。
そんな私が唯一得意なのが、文章を書くことだ。

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小中の国語の授業、高校の現代文の授業。「授業で習った物語の続きを自分で考えて書きましょう」「この写真から思いつく物語を自由に書きましょう」といった課題が出ると、私は嬉々としてペンを取って、自分の世界を紡いでいた。体育の授業ではチームの足手まといになり、家庭科の授業ではミシンを使う課題がなかなか終わらず居残りを命じられるような私。でも、その時ばかりは水を得た魚のように、課題にせっせと取り組んでいたのだ。

私の書いた物語を、クラスメイトや先生はいつも褒めてくれた。美人で運動神経も抜群のAちゃんや、社交的でスクールカースト上位のB君に、「泉海が書くと、本物のドラマみたい」「一人だけレベル違いって感じ」と言われると、誇らしい気持ちでいっぱいになった。
苦手なことやできないことが人よりも多くて、周りに迷惑をかけないように息を潜めて生きているような子どもだった。でも、文章を書き上げた時だけは、みんなと同じ位置に立てている気がした。

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そんな私だが、大学に入るとレポートの書き方で苦しむことになる。大学のレポートは、私がそれまで書いていた「物語」というものとは、また違うものだった。
教授から「これって主観じゃないの?」「なぜこう書いたの?根拠は?」と詰められては、自分のレベルの低さを痛感してハンカチを噛みしめる日々。にもかかわらず、私は卒業論文の指導を「あの先生はウチの学科で一番厳しい!」と皆が恐れる教授にお願いし、特に優秀な卒論を書いた学生のみが呼ばれる一大イベント、「卒論発表会」への出場を目標に定めた。やっぱり根っからの「文章書くの大好き人間」なんだろうと、我ながらしみじみ思った。

結局その発表会には出られなかったけれど、それでも「文章を書く」という行為の中毒性から脱け出せなくて、卒論をとっくに出した今でも「かがみよかがみ」にエッセイを投稿している。エッセイだけではない。気の置けない友人とのお出かけや、心を揺さぶられるような本との出会いを、誰に見せるわけでもない、一銭にもならない日記にカリカリとしたためることも、私にとっては日常茶飯事なのだ。

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何で文章を書くの?と聞かれたって、上手く答えられない。
そりゃそうだよね、音楽とかスポーツと違って、パッと目を引く分かりやすい華やかさなんてまるでない。「これ私が焼いたケーキなの!良かったら食べて」と、可愛らしい包みを差し出す人は沢山いるけれど、「私が書いた読書感想文、ぜひ読んでね」と原稿用紙の束を渡してくる人なんて見たことがない。

そう、何だって私はこうも文章を書くという行為に取りつかれているのだろう?
それはきっと、目には見えないもの、形のないものを、自分なりの姿で永久に遺しておきたいという想いがあるからだ。

小説を読んでいて新しく得た知識、思い切って悩み事を打ち明けた際に友人がくれた力強いアドバイス、美術館で出会った一枚の絵に秘められた物語、挫折から立ち直って自分に課した新たな目標……つまり「情報」や「気持ち」といった、目にも見えず形も持たず、手に取って触ることもできないものを忘れないように、私は文章を書いている気がする。

それだけでなく、どうせ書くなら、後になっても読み返しやすい文章にしよう、万が一他人が読んでも「面白い」「分かりやすい」「感動した」と思うような文章にしよう……こういった想いが心の中に存在する。
そして、ただ「書いて終わり」ではなく、文章を書く行為そのものを習慣化させて文章力を上げたい、という野心に繋がるのだ。

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卒論発表会出場の夢が破れた時は、「あれだけ頑張ったのに」「文章力だけが唯一の取り柄だったのに」と、ものすごく落ち込んだ。それでもまだ懲りずに、日記をつけ、読書ノートに感想や考察を書き、そして「かがみよかがみ」にエッセイを投稿している。

これから先も、たとえ自分の文章をどれほど低く評価されても、きっと私は書くことをやめられない。登山家が「そこに山があるから」と登山を続けるように、「書きたいことがあるから」と文章を書き続けるだろう。

今日読んだ小説、面白かった。この本の感想も、ノートにまとめよう。

かちり。
ボールペンの音と共に、私の心のスイッチもオンになった。