18歳の春まで実家で暮らしていた私にとってキッチンは身近な存在だったはず。
昔からわりとお手伝いは兄妹の中ではしていたほうで、包丁だって上手に扱えた。高校は普通科ではなく調理科のある学科に進学するほど料理は好きだった。
西洋料理、中華料理、日本料理、フランス製菓。
見たことも聞いたこともなかった高級食材を丁寧に扱い、馴染みのない調味料を使って調味した一皿は確かに美味しかった。
3年間沢山の料理を学び作り食べた。それらはみな、「美味しい記憶」として脳内に刻まれ、3年間着こんだコックコートは押し入れにしまわれたまま。
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調理師免許を取得した私は千葉の学校給食の会社に調理師として入社した。土日祝休みで福利厚生が厚く、不安定な飲食業界に入るより魅力が多かった。
そこでは、高級バターも、分厚いお肉も、ナイフもフォークも使わない。毎月予算内で栄養士がバランスのよい献立を作り、私たち調理師が調理する。
醤油味、コンソメスープ、出汁の効いた素朴な味噌汁、唐揚げ、カレーライス。正直心からホッとした。どれこれも、知っている馴染みのある味が体に染みた。
当時はまだ社会人としてのポジションも危うかったし、ストレスで何度も胃腸炎をおこした。バランスの取れた給食で1食だけはなんとか栄養をかろうじて確保できていたのはありがたかった。一人暮らしを初めたばかりの頃は仕事と最低限の家事をして暮らすのがやっとだった。
二十歳を越えてからはたびたびお酒を飲むようになり不健康な食事で体重は減った。
人事異動があったり、現場が変わったりで社会人6年目、気がつけば入社した頃より10キロも減っていた。
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6年目になるとだいぶ自炊はできるようになった。鍋やうどん、納豆、キムチばかりの適当料理ばかりだったけれど、いくらかマシになったほうだ。外食はやはり高いのでめったにしなかったし、さっと食べられて、それなりに栄養があって、ワンプレートですぐに片付けられるメニューばかり。
夫と付き合ってる頃は、毎週水曜日、夫(当時交際中)が家に来て食事を食べ、金曜の夜から土日は私が泊まりに行くのがルーティンだった。
結婚してからは、主に私が料理を担当。苦手な皿洗いを夫にお願いしている。キッチンにたつ時間は以前よりもぐっと増えた。毎週日曜日の午前中に、スーパーに行き1週間分のまとめ買いをする。大体5000円以内で野菜や肉、魚類、卵、牛乳をまんべんなく買い、1週間に備える。夫には地味ながら毎日弁当を作っているのが、やはり地味ながら喜ばれる。
稼ぎは少ないけれど、私も継続して社員で働いているので日曜のうちに下処理を済ませた肉を酒などにつけ込み冷凍しとく。作り置きは大体2日を目安に食べきるようにしており、大抵南瓜や金平などの煮物を1品。春雨や切り干し大根だったりツナなどの和え物のボイル野菜1品。味噌汁は毎日飲みきるために小さな雪平で2人分だけ作り、平日は肉や魚を焼くだけにする。水曜にまた後半の作り置きをして、木曜日を乗り切る。金曜はなんとなく余り物で豪華にする。
弁当には卵焼きを焼いて、金平をいれたり、夜のメインのおかずを1品いれる。3品しか入らないけど、ちょうどいい。冷凍食品は高いから使わない。国産の肉類を主に買い、野菜はなるべく地域のものを買うのが数少ないこだわりだ。
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一人暮らしのあの頃より、キッチンに立つ時間はぐっと増えた。YouTubeを見ながら折り畳み椅子に座って、鍋を煮込む時間は意外と嫌いではない。
朝の早い仕事なので夕方はどうしても眠たくなってしまう私だが、夕御飯作りは貴重なひとり時間でもあるのでまったりと作る。
キッチンで流れる時間がゆっくりと流れる夕方の時間は私の大切なひとときだ。
私は今までに沢山のキッチンを渡り歩いて旅してる。
実家のキッチン。高校のガスオーブン付き調理室。給食室の巨大な回転釜。一人暮らしをしてからは二つの小さなキッチンに出会い、結婚してからは2口ガスコンロにバージョンアップした。
旅するキッチンは私の人生そのものだ。これからもきっと私のキッチンは旅をする。