あの人からすると、私なんて子どもみたいなもので、なんにも起こらないものだと油断していた。あの人が時々浮かべるドギマギとした表情に、いつも驚いて感動していた。こんな私に対しても、そんな反応をしてくれるんだ。優しいし、面白いし、しっかりお話を聞いてくれるし、落ち着いてるし、私のことを女性扱いしてくれるし。はじめのうちは、男性経験ゼロの私が、男性に対してどこまで接近していいのか、というのを計るためにあの人で試していた。おおらかなので、ほとんどなんでも許してくれた。
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一緒に働いていたのはたったの4ヶ月間。辞令が出たと聞いたとき、私も一緒に異動するはずだったが、私だけ据え置きになった、と言われて泣いた。仕事で怒られても泣かないけど、そのときはかなりしつこく泣いた。そんな私を見て笑って、未だにからかってくる。たまに異動先に遊びに行ったり、店舗間の電話やメッセージのやり取りしたり、機会はそんなに多くないけれど、そのたまの出来事がたまらなく楽しい。先日は、初めて2人でご飯に行った。異動前に誘ってもずっと断られていたのに、急に機会が巡ってきた。
席に着くとすぐ、「たまに会うから、いいんやと思うで?」なんて言うから、「なに言ってるんですか」と恍ける。今日は抱かれようと思って来た。そのことは相手にもなんとなく伝わってて、
「俺が仕事辞めたら、いいで」
なんて言ってくる。
「え、いいんですか?……けど、それってめっちゃ先の話じゃないですか」
私のその反応に、驚いた顔をする。この人にだったら、1番最初に抱いてもらいたいと、ずっと妄想していた。きっと職場で見せるように丁寧に優しく、抱いてくれそうだった。だから今日は全身のムダ毛処理して、下着もちゃんと1番可愛いレースのセットを着て、オリモノシートもつけてる。昨日はジムに行って追い込んできた。何回か冗談みたいに、「デザート、私とかどうですか?」と尋ねて、その度に笑って流された。
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2時間くらい経ったときに私が、外していた指輪と時計を何気なくつけると、彼は「そろそろ行こか」と席を立った。お店を出て、寂しくなって腕に手を回す。
「次いつ会えるかわかんないし、私からはこんな会社の集まりとかないと誘いにくいし、寂しいんですけど」
と文句を言うと、
「またご飯行こうよ。誘うし」
と、軽く言われてまたびっくり。そのあとも、「楽しくて、もう疲れた…」との言葉に私も非常に満足。改札の前に着いたとき、さっきと同じことを言うから指切りしようと小指を見せると、「指切りせんでも、ちゃんと誘うって」と一蹴される。
「じゃあ、お別れのハグは?」
「外国人かよ」
「そのようなものです」
以前は普通に断られたけど、今回は謎の間が落ちた。その間に、魔がさした。ゆっくりと近づいて、彼の肩に顎をそっと置く。ほんの数秒の、なんとも言えない時間。今日は指一本触れてくれなかったから、ハグだけでもできてよかった。満足したし、ちょっと照れてしまって、すぐに解散。帰宅後、お礼の連絡をすると、「また誘うわ!次回楽しみにしてる」と返事が来た。
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ただ少しだけ、あの人の時間を独り占めしたいだけだった。大人だし、一度身体を重ねたくらいじゃ、なんの影響もないと勝手に思い込んでいた。だからあの人が私との子どもの妄想を口走ったとき、咄嗟に良い相槌が打てなかった。
私も覚悟を決めなければいけないかもしれない。あの人にだったら抱いてもらいたい、そう思う本心がなんだったのか。もしこの先、あの人の近くで生きていくのなら、まずはバイクの免許を取って、いつか一緒にツーリングに行きたい。2人でいる未来は、きっと素敵。体験したことのない、初めての気持ち。もっとドキドキして、キュンキュンするものだと思っていた。恥ずかしがり屋で臆病だから、本心を冗談みたいにしか言うことができなくて、散々混乱させてしまっている。次会うときは、もう少し素直に、この気持ちを伝えてみたい。あの人はこの気持ちの正体を、教えてくれるだろうか。