私は料理があまり得意ではありません。たまに、自分でも驚くほど不味い野菜炒めを作り上げてしまったりもします。でも夕食は一汁三菜、なるべく多くの食材を使って作るようにしています。

◎          ◎

新卒で入社した金融機関は実家から通えない距離ではなく、母に手間賃として月額5000円を支払ってでもお弁当を作ってもらい、キッチンに立つことなく社会人ライフを最初の2年間を過ごしました。大学時代も実家のある千葉県から都内に通うことは難しいことではなく、家のキッチンに立つよりもバイト先のガストのキッチンに立っていた時間の方が圧倒的に長かったのではないかと思います。

私の人生史の中で、最初に自炊が必要になったのは社会人3年目、24歳の時に引っ越しを伴う転職をしたときのことでした。引っ越し先はルームシェアで、キッチンやリビングルームなど共用部への滞在は最短時間で済ますように、という暗黙の了解がありました。そんなルールを盾にして、もっぱらインスタントラーメンに頼りきる生活が始まりました。幸か不幸か、その間にできた彼氏は料理上手で、週末には友人や同僚を自宅に招いて手料理を振る舞うことを趣味にしているようなタイプでした。それがさらに私が料理をしない理由にもなりました。

◎          ◎

私が転勤になり引っ越しをすることになったタイミングで、私の勤務地で彼と同棲を始めました。彼は英国の大学院に通う学生でしたが、新型コロナウイルスの影響で渡英せずオンラインで授業を受けていました。時差はあるものの、彼は毎日自宅にいる生活です。相談するまでもなく、食事の支度は彼の役割になりました。

好き嫌いの多い私は最初の壁にぶち当たりました。好きなものが食べられないのです。健康志向の彼は、朝食は手作りルバーブジャムのパンを用意してくれ、夕食には焼き魚や煮物など優しい味の献立を考えてくれます。しかし私は朝食を食べたくない派だし、夕食がガッツリマヨネーズ付きの唐揚げやラーメンが食べたいのです。とは言え、食事を用意してもらっている身としては文句を言えず、こっそりコンビニの唐揚げ棒を頬張ってから帰る毎日になりました。
同棲開始から1年経った頃、彼が別の場所で就職することになり、お料理担当が不在となりました。本来、好きなものだけを毎日食べたいタイプの私の食生活は、毎晩、大好きな唐揚げとお酒、締めのラーメンを楽しむ生活に一変です。前日から私好みの濃い味に漬け込んでおいた唐揚げを揚がったそばからビールで流し込み、締めにインスタントラーメンを鍋ごと啜るキッチンドリンカーになりました。

好きなもの好きなだけ食べて、お酒を飲んで寝る最高の毎日でした。さらに、それまではお弁当まで持たせてくれていた彼がいなくなったおかげで、私は職場でもランチにカップラーメンを食べられるようになり、毎回の食事が楽しみになりました。

◎          ◎

そんな毎日を2ヶ月過ごした頃、職場の清掃の76歳のおじいちゃんにこっそり廊下に呼び出され「お前、大丈夫か?」と手作りのお弁当を渡されました。煮物や蒸し野菜がたっぷり入った優しいお弁当でした。彼が私のお料理担当だったことを知っていたおじいちゃんは、同棲解消後、案の定私が毎昼食カップラーメンを食べるようになり、急激に痩せたことを心配してお弁当を作ってきてくれたのです。

好き勝手な食生活は、2ヶ月で4キロの不健康なダイエットを成功させていたことをおじいちゃんに言われてから気付きました。自分では満足した食生活でも、他人に心配させていたことを思い知ると同時に、おじいちゃんにお弁当を作らせるまでしてしまったことを恥ずかしく思いました。

すぐには変えることができませんでしたが、少しずつインスタントラーメンの頻度を下げお米を炊くようにし、野菜を買うように心がけました。そのままのトマトをレンジで温めてはいけないことも知らなった27歳の私は料理を習慣づけることに苦労しましたが、なんとか手料理と呼べるものを作れるまでになりました。

私の改心と成長を一番に喜んでくれたのは他の誰でもなく清掃のおじいちゃんでした。加えて、専業主婦になるときに一番心配してくれたのもおじいちゃんです。退職するときに「食事がちゃんとしてれば心も体も健康だし、くれぐれも旦那さんのためにも一汁三菜、頑張るんだぞ」と励ましてくれました。自分のためだった食事は、周囲の人に心配させないためになり、合わせて今は夫の健康を願うものになりました。そのことに気づかせてくれたおじいちゃんに心から感謝しています。