私にとって推し活は、心の安定に欠かせない精神安定剤のようなもの。最近幸運を感じたのは、仕事のシフト。希望して取った休みはなく、すべておまかせして出たシフト。仕事の合間に、適度に推し活が組み込める、ちょうどいいシフトだった。
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私は20代でありながら正社員で働くという選択肢を捨てた。
週5日フルタイムで働き、定額のお給料をもらう。正社員とはそういうものであると認識している。一般的にイメージする働き方もそういうものだろう。しかし、正社員という働き方が必ずしも満足できる働き方だとは限らない。
捨てた、というのも、私にも正社員として働いた期間はあった。勤務していた職場の求人詳細に記載されていたのは、完全週休2日制、夏季休暇あり、希望休も出せる、給与は平均よりやや高めで、ボーナスは年2回支給。休みも給与も夢が膨らむ求人だった。休みもしっかりもらえるのなら、良いかもしれないと就職を決めた。
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いざ働いてみると、定時上がりで帰れる日が多く、いわゆるアフター5が過ごせる職場であったように思う。ブラックではない環境。しかし、やりがいが感じられなかった。次第に職業自体に疑問を持ってしまった私は、本業として働くことに不自然さを抱いた。年末年始は交代で勤務が入る。大晦日が仕事になり、元旦も仕事、そんなシフトもあり得る世界。新人で、独身で、働き手としては融通の聞く働きアリであることは間違いない。自分が納得できる働き方は、これではないと思った。
私の趣味のひとつとして推し活がある。小学生の頃から応援している推しがいて、夜にはテレビに出演する推しを見るために、テレビの正面を陣取る。仕事の都合上それができないのはストレスで、働いているのに推し活ができないなんてどういうことだ、と不満をこぼしていたくらいだ。
しばらくして、転職をすることになった。
同じ業種だが雇用形態はパート。つまりフリーターだ。
ここで私は、正社員を捨てた。
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パートは、自分が働いた分だけ収入が入る。休みも日ごとに申請可能。とは言え、とりわけ特別な事情が無い限り、休み希望を出すことはないけれど。
働く時間も、朝から夕方まで。夜は家で過ごせる。年末年始は休み。生活リズムが整い、気持ちも楽になった。
ひとつ難点をあげるとすれば、定時が遅くなったことである。テレビのゴールデンタイムと言われる7時までに家に着くことがなくなった。テレビ番組を諦めなければいけないことは悔しいが、他の条件は劇的に改善している。受け入れられる範囲なので、仕方ないと思うことにした。
転職してから1年弱が経ち、推し活もほどほどに楽しんでいる。
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幸運だと思ったのは、ここ数日のシフトだ。
最近、これまでずっと応援してきた推しが出演する映画が公開されることになったのだ。それだけではない。映画には、舞台挨拶がある。当然、推しが参加している映画の舞台挨拶には行きたいものだ。シフトと実施日時を確認し、応募できるかスケジュールを照らし合わせてみる。すると、行けるかもしれない、という可能性が出てきた。
舞台挨拶は平日の午後に行われる予定だ。通常ならば仕事中で行けないが、仕事が午前中だけの日があり、奇跡だと思った。抽選でチケットを当てなければ行けないが、申し込まない手はないと素早く抽選に申し込む。当たる確率はわずかだが、行く気は十分だ。
結果ははずれた。これは想定内。参加することはできなかったが、近くの映画館で舞台挨拶が中継されることが決定した。もちろんスケジュールは空いているので、チケットを取った。久しぶりの推し活。ホームに戻ってきたような安心感と、やはり推しが好きだと実感できた時間であった。
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本来であれば、午後も仕事のシフトが入っていてもおかしくない日であったので、推しの映画の公開日に午後休をもらえていたのはラッキーだった。こうして推し活と仕事がうまい具合に組み込めると、とてつもない満足感が得られる。正社員からフリーターになって正解だったとか、やはり仕事は自由に動ける本業であることが大切だとか。
推し活と仕事と、こういったたまにある小さな幸せが、私の中で仕事をする意味を作っていく。推し活が充実しているシフトになれる幸せ。正社員のままではきっと仕事だったと思う。推し活がしたい日に限って残業があるのが社会人あるある。だからこそ、「社会人×推し活ができる環境」はこの上ない幸せなのだ。