都内の中学校で働いていると、よく女子生徒からこんなSOSを受け取る。
「先生……、あれで汚れちゃったみたいなので保健室行ってもいいですか……」
泣きそうな顔をしてこっそり耳打ちしてくる生徒。こんな悲痛な叫びを聞くたびに痛い程気持ちが分かり、私は作れる最大限の優しい表情で頷く。

生理との付き合いは15年以上になるのに、未だに上手い関係を作れていない。この世で最も神秘的な生理現象の一つであるはずなのに、常に切なさと不安が付きまとうのはあまり良い思い出がないからかもしれない。
そもそも生理にまつわる良い思い出がある人などいるの?これって愚問?

男の子だけでなく大人の男性も、生理を正しく理解していない

10歳年上の姉がいる私は、小学校で保健の授業を受けるより前に生理が何だか知っていた。それは母がしっかり向き合って話してくれたおかげもあるし、姉や母の日々の行動でそれとなく学んでいたのもある。

今でも忘れないのは初潮のきた11歳の春だ。その訪れを知った当時中学1年生の兄が不安そうに眉間にシワを寄せながらこう言ったのだ。
「血なんだよね?痛くないの?」
その瞬間、悟った。
「あー、これって男の子には絶対に理解できないことなんだな」
まさしく。男の子のみならず、大の大人も正しくなど理解していない。そんな人会ったことは未だかつてない。

「あーね。生理なんでしょ?大丈夫、今日は止めておこう」なんて言ったかと思えば、5分もしないで「ちょっとだけでいいから口でやってくれない?きつければ手でもいい」「タオル引けばいけるかな?それかお風呂場もあり」なんて言い始める。いけねーよ。
「え!生理なの?じゃあ生でできるじゃん!」なんて言った男には、とっさに履いていたピンヒールで頭を殴りたくなった。可能な限り鋭利なものでその回っていない脳みそに衝撃を与えたくなる。
でも、口から出る言葉や行動がそうじゃないから厄介なのだ。

彼との喧嘩の後、「生理前だった?」と言われて…

まさしく月経前症候群の私は、だいたい生理一週間前から私が私でなくなる。それに気がついたのは高校生になった頃だった。
一番辛いのは感情を抑えられないこと。苛々よりも絶望感が強く、明白な理由なく涙が止まらなくなる。
遂に大学4年生の時にピルを服用することにした。だいぶ身体の負担は軽減された。ただし感情のコントロールは未だに難しい。

それでも努力はしているつもりだった。ただ彼と喧嘩して仲直りをした後、別れ際にこう言われたことがあるーー「もしかして生理前だった?」。
感情が落ち着いた後だったのに、また胸の内がざわざわして、体温が上がり呼吸が荒くなるのを感じた。
体内の熱は熱い涙となって体外に出ていく。心臓や脳から始まり身体の末端まで支配するのは絶望感。自分でもわからない、なのに出てくる言葉は「ごめんね」。
どんな時でもその言葉を言われると、私は自分で白旗を振り始める。その言葉の後には決して戦闘態勢をとることはできない。
それもセクハラの一種だと分かっている。それでも謝罪の言葉を出してしまうのは文化とか時代とかそういう問題じゃない。劣っていると感じてしまうというよりも、自身が生理という決してコントロールできない絶対的な現象を目の当たりにして絶望してしまうのだ。
謝らないでなんて言われるともっと悲しくなる。この現象の支配から逃れることができないことが重い現実としてのしかかる。

男性諸君、生理に嫌な思い出があるのはあなたたちだけではない

だからね、男性諸君。
酒の席で話のネタに「彼女が今生理前だから家に帰りたくない(笑)」なんて話しているのは構わない。
でも、同時にあなたたちの彼女はその時に「今日は彼を傷つけませんように。ちゃんと自分をコントロールできますように」って祈るように過ごしていることを知っていてほしい。

生理に嫌な思い出があるのはあなたたちだけではない。私たち女性もこの素晴らしい生理現象を可能にする代償を今日も払っているの。
自分が自分じゃなくなる恐怖心を隠して今日も笑顔で過ごしていること、共感はしなくてもいいから、ただ知っていてほしい。

生理は降ろしたくても降ろせない重み。それなら少しでも軽くしたい。
彼らの理解がその重みをふわっと軽くしてくれるはず。