今年で26歳、生理10年目になる。あと20年くらいはこの厄介な現象が、自分の身体を縛り続けると思うと辟易とする。
わたしはPMSや、生理中の身体や心の変調がほとんどない方だった。
しかし、歳を重ねるごとに生理痛や、月経血の多さに悩まされるようになった。ナプキンとタンポンの両方を使っても、夜は安心して眠ることができなかった。シーツや下着を汚して、誰にも見られないようにコソコソと手洗いした記憶が何度もある。
1ヶ月に1回必ず、自分の身体を投げ出したくなる時期がやってくるのは、別に有り難いことでも神秘的なことでもない。生理を前向きに捉えようとする言葉にウンザリしている女性は多いのではないだろうか。

話題の「生理と貧困」は、わたしたち全ての女性を取り巻く問題

「生理と貧困」で話題になっているように、生理用品代も馬鹿にならない。1ヶ月数百円で済む人もいれば、そうでない人もいる。
わたしは現在、ピルを内服して、生理がくる回数を減らしている。それでも生理中は、日中はタンポンとナプキン、夜はショーツ型ナプキンを使用しているので、1回の生理で1000円程度の出費となる。
加えて、ひと月のピル代は約3000円。学生の頃は、ナプキン代が惜しくて、ティッシュやトイレットペーパーを使用することもあった。本当に人それぞれなのに、全く経験のない男性が、知識人を装って物申そうと躍起になっている姿はかなり奇妙で、「余計なお世話だ」以外に言葉が見当たらない。
「生活の無駄をなくせ」「スマホが買えるなら生理用品も買えるはずだ」というような意見も見受けられるが、そこはあなたたちが正すところではない。どんな経済状況や家庭環境の人でも、容易に手に入るようにすることが求められているのだ。

見えない部分に苦しみや悩みを抱える人がいることを忘れてはいけない

個人の置かれている状況は千差万別で、想像が及ばない範囲もあるだろう。自分に見えていること、聞こえていることだけを、他人に向ける言葉の判断基準にしてしまうのは危険すぎないだろうか。わたしたちが見えていない部分に、苦しんでいる人や悩んでいる人がいることを忘れてはいけないと思う。声が上がるということは、現実に助けを求める人が大勢いる、ということの何よりの証だろう。それを真っ向から否定するような、想像力の欠けた言葉を、簡単に発しないでもらいたい。
日本では、体調不良や身体に起こる様々な現象を、個人の責任とする意識が根強いように感じる。それはコロナ感染症が日本でも猛威を振るうようになって、より顕著になった。
感染した人の行動を責め立て、個人の管理不足を感染の原因として叱責する。生理や、生理に関連する体調不良も自己管理の問題として括られてしまうことが多い。
もちろん自己管理の重要性は理解できるし、前提としてあるものだとも思う。しかし、誰だって体調を崩すことはあるし、予期せぬ病に侵される可能性もある。自己管理だけではままならない身体や心を抱えて生きている人がどれほど多いだろう。

生きやすい世界へ向かおうとするこの“うねり“を、どうか止めないで

そんな状況に対して、自責を余儀なくされる社会は生きづらすぎる。弱っている時、社会のやさしさやあたたかさを感じたいと思うのはわがままだろうか。みんなだって本当はその方が生きやすいはずだ。この生きづらい世の中、身体や心が苦しいときくらい、やさしさだけを持ち寄ってくれたって良いではないか。
わたしは、あなたや、あなたの家族が苦しんでいるときに、あなたたちの管理不足を疑わないし、決して責めない。その苦しみに寄り添えればいいと思うし、出来るだけ早く、そこから解放されるといいとも思う。家族や友人以外の人にもそうありたい。理想に過ぎないかもしれないが、多くの人がそうなっていけば、わたしたちはもう少し楽に息ができるはずだ。
生理と共に生きる女性の生きやすさは、その他の人々にとっても生きやすさとして作用するはずだ。そこに向かおうとするこの“うねり“を、どうか止めないでほしい。
出来ればやさしさを持って後押ししてほしい。