純江つぐみ、当時15歳。人に頼れない女代表レベルの私は、人に頼らざるを得ない状況に陥った。
なぜなら、体育の授業で負った怪我で、人生初の松葉杖生活を強いられたからだ。

もともと私は人に頼れなかったが、当時の私は輪をかけて人に頼れなかった。頼れないというよりは「誰かに借りを作るな。甘えるな。弱みを作るな。そして常に強くあれ」という思考に支配されていた。学年で一番治安が悪いと言われていたクラスのせいで人間不信だったのもあるだろう。

「手伝おうか?」の言葉に食い気味に答えた「大丈夫です!」

その日も私は延々と続く階段を忌々しく見上げながら、一段一段のぼっていた。
毎日、教室のある四階まで上がるのだけでもなかなかの重労働だ。腕だけで体を支えなきゃならないし、物がたっぷり入ったカバンの重さまでのしかかってくる。筋トレかよ。
脳内の私が我慢できずにハンマー投げのようにカバンを投げ飛ばした頃、後ろからバタバタと階段をのぼってくる集団の足音が聞こえてきた。

通り過ぎていく足元と声から察するに運動部の男子たちだろう。それを横目にのろのろと階段を上っていた時、私の真横で一人分の足音が止まった。
「大丈夫か?手伝おうか?」
そう私に声をかけたのは、他のクラスの男子だった。運動部の男子、爽やか系。どう見ても陽キャ、しかもでかい。

「大丈夫です!」
食い気味だったと思う。男子の見た目と場の雰囲気に圧倒された反動だった。
私の脳内では「誰かに借りを作るな。甘えるな(以下略)」という信条が呪文のように渦巻いている。やっぱり手を煩わせるのは申し訳ない。
それにもしも手伝ってもらったところをクラスの男子に見られたら、「男に荷物持ってもらうなんて、怪我人だからって良いご身分だな」なんて言われかねない。

男子は不思議そうな顔で私を見ていたけど、ニカッと歯を見せて笑った。
「そう?でも必要だと思ったら呼んでくれよな。戻ってくるから!」
言い終えるなり、たんたんたんと再び軽い足取りで男子は階段を駆け上がっていった。私もそれくらいの足取りで階段を上りたいよ……。

「やっぱり手伝うよ」。階段から下りてきたのはさっきの男子だった

またゆっくりと階段を上っていると、上の階から近づいてくる足音が聞こえた。下りてくる相手の姿を確認しようと顔を上げて私は驚いた。下りてきたのはさっきの男子だったのだ。
「やっぱり手伝うよ。カバン運んで良い?」
どうやら私のカバンを運ぶために、わざわざ自分の荷物を教室に置いてから戻ってきてくれたらしかった。
さすがにこのまま手ぶらで教室に帰すわけにはいかない。他人に頼らない信条云々は全てポイして、男子の気遣いに素直に甘えることにした。

「教室、何階?」
「四階」
男子は私がおろしたカバンを軽々と背負い、階段を駆け上がっていった。遠ざかっていく足音と、少しだけ早くなるカツンカツンという松葉杖の音。背中にのしかかっていた荷物の重さがなくなった分、さっきよりも階段を上るのが楽になっていた。
遠ざかっていった足音が再び近づいてくる。もう運び終えたらしい。戻ってきた男子と三階近くで会った。

「四階に机あったから、そこに置いといた!」
「ありがとう」
「松葉杖で階段上るの大変だよな。頑張れよ」
「じゃ!」と片手を上げ、男子は階段を下りていった。
四階まであとちょっとだ。もうちょっとだけ頑張ろうと、松葉杖を握る手に力を込める。
どうして他人のためにそこまで出来るんだろう?と不思議に思っていた。でも、その理由は彼の行動を見ていたら少しだけわかった気がした。

松葉杖で階段を上ったことがあるから、できるサポートだったのかも

彼の気遣いは全て、怪我をした人目線の気遣いだった。怪我で不自由な時、何をしてもらえたら嬉しいか。彼の焦点は全てそこにあったと思う。
四階に置かれたカバンは机の上にあった。床に置いてしまうと松葉杖を持った手でカバンを持ち上げるにはバランスが取りにくくて大変だから。
私が背負っていたカバンをおろすときもそうだった。階段から離れた危険のない場所で、且つ、松葉杖がなくてもバランスを崩さないように壁際に立たせて、カバンを両手で支えながらおろしてくれた。

彼は松葉杖で階段を上る大変さを知っていた。もしかしたらあの男子も同じように松葉杖で階段を上った経験があって、何か思うことがあったのかもしれない。
そこまで気づいて、初めに断ってしまった自分が恥ずかしくなった。
自分の都合に気を取られてばかりで、声をかけてくれた相手の善意を、相手の気持ちを考えてなどいなかった。なのにも関わらず、一度断られても信念を曲げず、自分の出来ることを考えて行動を起こしてくれた。その行動をかっこいいと思った。

こうして人に頼ったのはいつぶりだっただろう。頼ったというよりは頼らせてもらったと言った方が近いかもしれないけれど。
相手の善意を断ることは、時には相手の気持ちを無碍にすることになる。それに頼れる時に頼らないと、本来ならサポートしてもらえた分が全て自分にかかってくることで自分にも負担がかかる。
他人に頼れないというのは、自分にも他人にも良くないことなのかもしれない。私はこの一件からそれを学んだ。

頼れるようになった私は、あの男子のように「頼らせる人」でありたい

頼れなかった私は、人に頼ることが出来る私になった。とは言っても自分から人に頼るのはまだ苦手なので、誰かに声をかけられた時だけ相手の善意に甘える形をとっている。
そして、自分に余裕があるときは出来るだけ相手目線のサポートをする。そうすることでほとんど±0になる。

誰かに頼れるようになって気づいたことがある。頼れなかった頃よりも誰かに頼れる今の方がずっと楽になったということだ。
というのも、相手の善意を断ってしまうと「この人に言っても断られるし」と相手に思わせてしまうことになる。それを続けてしまうと最終的に頼らせてもらえる人がいなくなってしまい、自分から助けを求めない限り誰にも頼れない状況になってしまうからだ。

一人で抱えきれなくなった時点で自滅しかねない。それをわかっているからこそ、他人にも誰かに頼れる人であってほしいと思う。

私もあの日の男子のように、相手の目線に立ったサポートのできる「頼らせる人」でありたい。そして、誰かに頼れる人でありたい。