「ヒモになってもいいよ」
私が仕事終わりに、恋人に送ったLINE。
泣き笑いの絵文字をつけて送ったLINE。
後で聞いて知ったのだけれど、彼はこの一言に救われたらしい。

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彼はこの夏に転職する。
退職にあたって、管理職とのコミュニケーションが上手くいかず、退職日の延期を迫られたり、「そんな辞め方、非常識」と詰め寄られたり、組織内にとどまってほしいと引き留める上層部も出てきて、いざこざに巻き込まれていた。
「偉い人が直接話したいって」と、疲れた顔をして私に寄り掛かった彼を見ていたとき、
「いっそ転職じゃなくて少し休んだら?」と心の中で思いながらも、何も言えなかった。
私が何か言ったからといって状況が改善するわけでもなく、全く関係のない私にできることは彼の話を聞いてあげることだけだから。
だけれど、ある日の仕事帰り、「今日も話が進まなかった」という彼から届いたLINEを読んで、思わず「もうヒモになってもいいよ」と返信をしてみた。何の文脈もなしに突然。
その夜に彼と会ってから、「もう転職じゃなくて、仕事いったんお休みにしてもいいよ」と笑いながら私は言った。

ただ退職したいだけなのに、かなり大ごとになってしまい、引き留めようとする上層部に従って職場にとどまったとしても、もう心地よく働ける雰囲気ではなくなってしまった。
そんな状況を見て、「もう仕事辞めちゃってもいいよ」と私が放った一言が持つパワーはすごかったらしい。
私が言った「ヒモになってもいいよ」の一言で彼は「男だから、ちゃんと働いて稼がないと」という呪縛から少しだけ解放されたらしい。

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ふと考えてみると、男性が専業主夫になると、「ヒモ」と呼ばれるのに、就業していない女性を「ヒモ」と呼ばないのはなぜだろう。

「男性は働いてお金を稼いでくる」という価値観が、知らないうちに私たちに浸透しているのではないか。
稼ぎの良い夫がいて、タワーマンションに住んで、週1回の習い事と月1回のエステに通い、毎日の料理をインスタグラムにアップするような妻がいたとしたら、彼女にとって、夫はただのATMにしかすぎない。
かっこよくて、求められる成果以上に仕事をこなして、不合理なことがあれば交渉してくれる、そんな男性を「気が強い」とは言わないけれど、同じようにかっこよく働く女性が「気が強い」と言われてしまうのはなぜだろう。

私は時に「女性が不当な扱いを受けている」と声高らかに抗議するけれど、不当な扱いを受けて、不平等さを感じているのは女性だけじゃないんだ。
男性だって大変。女性、男性という性別によるグルーピングを超えて、みんなが大変なんだ。

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色々と考えを巡らした結果「ヒモっていう表現は適切ではなかった気がする」と言った私に対して、彼は微笑みながら、「かおりんはちゃんと対等な関係でいようとするよね」と。
後日談だけれど、彼は少しだけ本気で「仕事辞めて家にいたら」の想像をしてみたらしい。
「パスタは得意だけど、毎日晩ご飯に3品作れるかなぁ。毎朝お弁当も作りたいし、早起きしなきゃ」と主夫生活のイメージトレーニングをしていた彼を見て、私は思わず「そんなにたくさん料理作らなくていいし、お弁当作りも頑張らなくていいよ。ただ毎日元気にして、部屋を綺麗にしてくれていればそれだけでいい」と笑って言った。

「でも、何かできることをして、外で仕事をしてお金を稼ぐ人と対等でいたい」と。
ハッとした。
もしかしたら「主婦/主夫が毎朝お弁当を作って、料理も手を抜かず、家事を完璧にこなすべき」という価値観を私は無意識のうちに持ってしまっているのかもしれないと。
家事を行うのは、「お金を稼いでいない人」として当たり前。それは、本当に当たり前なのだろうかと。
結局、私も彼も共働きのままだけれど、いつか、どちらかが仕事を辞めるという決断をしたら、その時は「家にいるなら……」と家事を全て押し付けたりもせず、「外で働いて疲れているんだよ」と傲慢になることもせず、本当に対等な関係でいられるように、私は努力したい。