両手いっぱいの、大きな花束を抱えて夜空を見上げて、歩く帰り道。それは、私の誕生日の前夜。とても幸せだった。

高級ホテルでディナーを食べたわけではないし、思わずインスタに投稿したくなるようなハイブランドのバッグをもらったわけでもない。
ただ、私が好きな人が私の誕生日を祝ってくれただけ。ただ、両手で持って帰るのが少し恥ずかしいくらいの、大きい花束をくれただけ。

異性から花束をもらったことは何度もあるのに今の恋人がくれた花束が、今までで一番嬉しかったのはなぜだろう。

久しぶりにハマったテレビドラマの最終回に出てきたカスミソウが印象的で、「花束を持っている人って幸せそうだよね」と言った私の話を、彼が覚えていたことが嬉しかった。
彼が私を大切にしてくれている証なのだと、伝わってくるからなのかもしれない。彼が最寄り駅で買った大きな花束を抱えて電車に乗ってきたのかと思うと微笑ましいし、喜ぶ私を見て「次はもっと大きいのにしよう」と意気込むのもかわいい。

恋人との惚気話になってしまうけれど、「紫、水色系の淡い色合いで花束を作ってもらったけど、この青いカスミソウを絶対に入れてほしくて」と、少し興奮気味に説明をする彼が愛おしくてたまらない。
ふとした瞬間に考えれば考えるほど、今の恋人と出会えたことは幸運の象徴だと思えてくる。

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私たちの出身地は全く違うし、中学、高校、大学も違う。仕事の分野、業種も全く違う。唯一私の大親友と、彼が卒業した大学院が同じ。大学院が同じで2人とも理系とはいっても、研究科は違う。

出身地、学歴、年齢、職業など、結婚相談所の条件フィルターにあるような項目について、
私たちに共通点はない。共通する趣味といえば、カメラで写真を撮ること、新海誠監督の作品が好きなこと、読書が好きなこと、そして、ドライブ好きなことだ。

自慢するわけではないけれど、高校も大学もそれなりに頭の良い学校を卒業して、実はトライリンガルの私は、恋愛関係においては、むしろ「いかに平凡で普通な人間か」であることを印象付けることに徹していた。

男性よりも物知りであることで、男性のプライドを傷つけてしまうから。賢すぎる女の子はかわいくないと言われるから。少しくらい天然ボケしている女の子でいる方がかわいいから。

だけれど、初めて「賢くても全然いいと思うよ、むしろ賢い方がいいじゃん」と、肯定してくれる人に出会った。それが私にとっては奇跡に近い出来事で、今のびのびと暮らしていられるのも彼のおかげなのだと思う。

女の子は賢すぎると損をすると思って生きてきた。なぜなら、実際そうだったから。私の出身高校や大学を聞いて、「わ、頭良いんだね〜」と言って遠のいていく男性がいた。本が読むことが好きだと言うと、「真面目なんだね」と勝手に私のキャラクターを決められてしまった。仕事ができると、「バリバリ働いているね」と褒められるけれども、私は男性のライバルになってしまう。同様に向上心を持ってキャリアを積もうとする男性にとっては、私は都合の良い存在ではないらしいと知った。仕事を頑張りすぎると結婚相手として見てもらえないことがある、ということも知った。

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だから「結婚」は自らの人生をある程度犠牲にするものだと考えていた。キャリアを少し諦めること。自分のライフスタイルを少し諦めること。自分の名字を諦めること。選択的夫婦別姓が未だに実現していない日本において、婚姻関係にある妻が名字を変えないという選択肢はあるけれども、一般的には女性側が名字を変える。

ただ、今の彼と付き合い始めてから、私の心境にも変化があった。私が「もっとお給料をアップさせたい」と転職を考え始めた時には、彼は、冗談で「じゃあ、養ってよ」と笑って言っていた。キャリアを積んでいこうとする彼女に対して、「そんなに頑張らなくてもいいんじゃない?結婚して子どもが生まれたら家庭との両立もあるじゃん」と言うのではなく、
「応援しているよ。養えるくらい稼いじゃって!」と笑い飛ばしながら応援してくれる恋人はそれほど多くない気がする。

「結婚すると女性が名字を変える」という慣習に、もやもやを感じてしまう私に対して、「かおりんの名字の方が珍しいし、私は自分の名字がつまらないと思っていたから、私が名字を変えるよ」とさらっと言ってくれる恋人も珍しいと思う。

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私たちは出身地も育ちも専門とする分野も違うけれど、彼の地元をドライブしながら、「ここが通っていた学校」「ここが通っていた塾」と紹介してくれることはとても嬉しいし、彼と出会っていなかったら、知らなかった街や景色がある。彼と出会っていなかったら、知らなかった生き方がある。だから、私は幸せ者だ。