トントントン…と聞こえる、食材を切る音は、どうしてこんなに心地よく感じるのだろうか。キッチンからする匂いは、どうしてこんなにもあたたかく包み込む感じがするのだろうか。

私は食べることが好きだ。美味しいものを食べることに幸せを感じている。
今年結婚したパートナーも、職業は調理師。胃袋を掴まれたということだ。

私には特に気に入っている、特別好きな料理が3つある。オムライスとクリームソーダとおにぎりだ。

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パートナーが作る、熱々のチーズ入りのフワトロオムライス。
ざっくり切られたシャキシャキ感の残る玉ねぎと、こんがり焼けたウインナー入りのケチャップライス。その上に乗せる卵は大盤振る舞いに3個。とろけるチーズ入りだ。熱々の卵に、包丁で切り込みを入れるとふわっとひまわりが咲いたように皿一面に黄色が広がる。見た目も最高。

祖母が作る、爽やかな色が印象的なクリームソーダ。
大きな氷がグラスいっぱいに敷き詰められる。そこへ鮮やかな色合いのメロンシロップに、後からシュワシュワの泡の炭酸が音を立てながらグラスに注がれる。その上に大好きなアイスクリームが乗ればもう美味しいの間違いなし。

そして母が作る、小さくてかわいい一口サイズのおにぎり。
小さな小さな一口サイズのおにぎり。一口で食べられる大きさなのに、ちゃんとぎっしり具が入っている。体調が悪く、食欲がなくても、これなら食べることができた。
どれも私の大好きな食べ物。私の心掴んだ料理。何度食べても飽きることはなく、何度でも食べたいと思う。今でも食べたいと思う。何なら今すぐにでも食べたい。それほど好きなのだ。

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初めは、どうしてこれほど好きになったのかわからなかった。ただ、台所や厨房で料理を作る姿を見て、安心したこと。料理を作るときの食材を刻む音、炒める音、水道の音、完成に近づくに連れて、いい匂いがしてくること。それが妙に心地良かったことだけはよく覚えている。

自分が大学生、社会人になり、料理をする機会が増え気づいたことがあった。「美味しい」と言って食べてくれることの喜びだ。

料理が得意なわけではないし、手際は良いわけでもない。でも、人並みには料理ができると思っている。春巻きを作るときは、カレー味、醤油味、味噌味と3種類作っている。ドリアやグラタンは小麦粉からホワイトソースを作っている。

家族から好評なのは、白菜と豚肉のミルフィーユ。美味しそうに食べてくれるから作りがいがあった。美味しいと言って食べてくれるならと、何度も繰り返し作った。
そんな時にふと気がついた。

私が特に気に入っている3つの料理が、特別好きな理由。
私を優しく包み込む隠し味に「愛」が入っているからだ。

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同じものを作ろうとしても、同じ味にはならない。その人たちが、私に向けて作ったものだから、きっと心から美味しいと思えるんだ。そして、私が「美味しい」って言って食べるから、また美味しく作ってくれるのだ。

その人たちが、私のために作ってくれている、その事実が大きいのかもしれない。
そう思うと、なぜか胸が熱くなり、泣いてしまいそうになる。
いつか食べられない日が来てしまう寂しさ。自分では再現できない味であることへの悔しさ。

こんなに美味しいのに、もっと食べたいのに、私には作れない。
言葉では言い表せないほど美味しい。
きっとあの味は、どんなにうまい料理人にも勝る「愛の味」がある。
「愛」の隠し味を使える料理人たちが、私のキッチンにいる。

私も大切な人に、特別美味しいと思ってもらえる料理を作れるようになりたい。隠し味に「愛」をいっぱい詰め込める人になりたい。
いや、そういう人に私もなるんだ。