今までの人生、成功よりも失敗の方が圧倒的に多く、うまくいかないなぁ……と感じたことは数えきれない。
しかし、そんな私にも、ふとした時に「幸運だ」と感じる瞬間はある。大好きなパンケーキを食べているとき、かわいい和犬が前から歩いてくるとき、海外旅行先で壮大な景色が目の前に広がっているとき、欲しかったものが手に入ったとき。日常生活で感じる・味わう些細なことから、数年に1回経験できるかできないかであろう稀有なことまで。「幸せ」だと感じることは意外と多いのかもしれない。そして私の場合、実は生まれた時から幸運なのだと思う。

◎          ◎

私の出生地は、カナダ・ケベック州のモントリオールである。両親は日本人で、私も日本在住歴の方がはるかに長く、また現在の国籍は「日本」であるが、「カナダ生まれ」この事実は変わらない。出生証明書も持っている。生まれてから6歳になる直前まで、モントリオールで生活していた。「帰国子女」であることに少なからず誇りを持っていることは否めないが、それ以上に、“カナダ生まれだからこその価値観・感覚” や、“カナダ生まれだからこその趣味・嗜好” といったものを持つことができた。だから自分は「幸運」なのだと感じている。

例えば、Native Englishの発音を難なく身につけられたこと。日本人にとって、「v」、「f」、「th」、「r」の発音は難しく、発音できても違和感が残ることが多い。また、英文を読む際、抑揚なく読む日本人が多く、これにも違和感がある。こういったことを特別な努力なしに(それなりに)自然に行うことができたのは、カナダの現地校に通っていたからであろう。私は大学の専攻が英語で、必修の授業は基本的に話すのも書くのも全て英語で行われていたのだが、クラスメイトの中には発音に苦労している子もいた。私も、日本に引っ越してきてから大学入学までの期間にだいぶスピーキング力は衰えていたが、いわゆる「カタカナ英語」ではなく、それなりに滑らかに話せていたと思う。

◎          ◎

大学時代のことで言えば、あるゼミに興味を持ち、所属できたのも、カナダ生まれだからだと思っている。そのゼミのテーマは、社会言語学とカナダ研究に関するもの。担当教授(女性)はカナダ在住歴があり、彼女からカナダに関する様々な話を聞くことが本当に楽しかった。この教授との出会いは「運命」としか思えなかった。

大学で英語を学んでいるうちに、自分の英語スキルを試したいという気持ちと、他の国のことも知りたいという気持ちから、一人海外旅行が趣味となった。カナダはもちろん、イギリス、ニュージーランド、オーストラリア、アメリカ、英語圏を中心に旅行をした。どこに行っても何かしらのトラブルに遭遇したが、後悔することはなく、行って良かったという気持ちが大きい。それに、私は英語を話せるので、困ったときは現地の人たちに助けを求めることができた。現地人に助けを求めた時に、嫌な顔をされたことはない。外国人の私にも、親切に接してくれる。これが多文化社会のいいところだと、いつも心が温かくなった。トラブルへの対処も、今となってはいい経験だったと思える。

・英語の発音習得にそれほど苦労をしなかった。
・両親のルーツである「日本」以外に、「カナダ」という国に興味を持った。
・カナダで多文化社会に触れ、他の国にも行ってみたいという気持ちが強くなり、一人海外旅行が趣味となった。
・カタカナ英語でないため、Native Englishの人たちとの会話をスムーズにすることができた。

そう、すべて繋がっているのだ。カナダ生まれだからこそ経験できたこと、得られたもの。

◎          ◎

そして、カナダ生まれで何より恵まれていると感じているのは、かけがえのない友人(女性)ができたこと。彼女とその母親は、私のベビーシッターで、私含め家族にもとても親切な人たちだった。彼女の母親は、私の母に「この子(私)は神様からの贈りものだ」と言い、私のcharming smileが大好きだと、いつも言ってくれた。母親の方はもう亡くなって10年以上経つが、今でも忘れられない、大切な人である。この親子とは、年齢も物理的な距離も離れているが、一生大切にしたい絆がある。

とにかく、カナダ生まれでよかった、幸せだと感じている。
私は、「死ぬまでにカナダ全13州制覇」を人生の目標としている。現時点で7州廻ったので、残り6州。
これが達成できたとき、どんな感情を抱くのか。その時にならないとわからないが、生きていてよかったと感じるのではないか。
実際はどんな感情を抱くのか、考えるだけで興奮する。