食べ物だったものたち…。私がそうさせた、もう食べ物と呼べなくなったものをみていつも自分は悪い女だと思う。

中学3年生から私には切っても切り離せない病を抱えている。
病名は摂食障がいである。
病名はついてはいるものの、わたし的には「病気」という感じはしていない。
病気というよりは、思春期に心に出来た火傷のようなもので、10代の脆く傷つきやすい時期にしか点火しないめらめらという火に焼かれた証…というとしっくりくる。

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中学3年生の頃に私はクラスが変わった。
それも全員がするクラス替えとは異なり、私含めた3人だけがクラスが変わったのだ。
私は中1から中2までは「特進クラス」という偏差値の高いクラスにいたのだが、
得意科目(文系科目)は前のめりでやるのたが、苦手科目(理系科目)は敬遠しがちな悪い癖のせいで陥った学業不振により特進クラスにいられなくなった。

敬遠しすぎたのだ。野球じゃ敬遠されても1塁に向かうだけだが、勉学においてはそうはいかず、「進学クラス」というクラスにいわば「都落ち」させられたのである。

今までの仲の良かった面々とは離れ、もうすでに完成した友人関係の中に放り込まれた私達は異物の扱いであった。けれども私以外のふたりはコミュニケーション能力が高く、みるみるうちに既存のグループにまるで2年前からそこが自分の居場所だったみたいに馴染んでいく。私も頑張ってはみたものの次第に私はひとりになった。

友達がいる特進クラスに行くと、そこのクラスの魔女を思わすルックスの担任教師に、
「忍足さん他のクラスの人は教室に入らないでください」と言われた。
15年近くたった今でも鮮明に覚えている傷ついた言葉だ。
傷つく資格などないのかもしれない。だって自分が頭が悪いからここにはいられなかったのだとは分かっているけれど、でも繊細な15歳の心は「もう自分には居場所はないんだ」と奈落につけつけられるには十分な言葉であった。

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移動教室に行く時にみんながグループで行くのに私は、ひとり。
ひとりが恥ずかしいので本を読むふりしながら一緒に都落ちした子を見たら、真新しい友達と笑っていた。私はあの子と何が違うんだろう?どうすればあの子みたいになれるんだろう?
未熟な心と頭で必死に必死に、毎日脳を煎るように考えた。

そして気付いた。あの子達は細いんだと。私はちょっとぽっちゃりしている。
痩せたら私もクラスに馴染めるだろうか?ひとりではなくなるだろうか?
けれども15歳の胃はいつも貪欲で言うことを聞いてくれない。
給食のバターたっぷりのパンも、具沢山でとろりとしたシチューも、美味しそうで私を孤独から救ってはくれない。

じゃあこうしたらいいだろう。食べても吐けばチャラになる。
パンの柔らかさ、シチューのなめらかさを味わえて、ゼロカロリーだなんて、なんていいんだろう。
給食を食べて、トイレに直行し、指を口に突っ込み吐くのが当たり前になった。
教室近くのトイレでは誰かに気づかれてしまうし、「大丈夫?」なんて声をかけられたらいたたまれないから次第に人のいない棟のトイレを選ぶようになった。はじめは昼食だけだったけれど、家での朝食も夕食も家族に隠れて吐くようになった。

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体重は20キロ近く落ちた。それと同時にクラスメイトから
「忍足さんって、痩せたよね。なにで痩せたの?羨ましい!」
「足!めっちゃ細いね!いいな、私も痩せたい!」
なんて言われるようになった。

友達、にはなれぬうちに中学生活は終わり、高校生になった。
環境も変わり友達も出来た。私はそれを痩せたからと思っていた。だから太るのが怖くなってしまった。1キロでも体重が増えようもんならば友達がいなくなってしまう気がした。
だからもう孤独ではないのに吐くことはやめられなかった。

「食べ物を粗末にしてはいけません」
「お米ひと粒には神様が宿ってるんだからね」
そんなことは幼い頃から聞かされていた。分かってる。
けれどもどうしてもやめられなかった。

ただ口に物をありったけ突っ込む時は謎の達成感があり、それを吐き出しているときは爽快感すら含んでいる。
もうクラスに馴染む馴染めないとか、友達がほしいとか、孤独でいたくない云々よりも、吐くことで自分の存在を認識して安心している私もいた。
けれども胃液によってひりつく喉、涙目で潤んだ視界にある食べ物だったものを見るとその爽快感はオセロみたいにパタパタと罪悪感へと変わる。
生産者や調理者への申し訳なさ。
何をやっているんだろうとも思う。
吐瀉物を前にいつも、自分はとても悪い女だと罪の意識に駆られる。

一番重くのしかかるのは牛肉や豚肉…ただ食べられて誰かの血肉になればいいものの、食べられたかと思った矢先吐き出され生ゴミとされる、牛や豚の生命にも申し訳ない。人間の食事の為に命を奪われてるというのに美味しく食べてもらえないのはいたずらに弄んでるようだ。きっと牛や豚は私を「悪い人間」だと恨むだろう。美味しく食べることが人間の食材になるものへの供養だというのに。

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大人になった今では日常的に摂食障がいの症状がでることは減ってきた。
けれども完全には消えていない。
ストレスが溜まったり、将来へのぼんやりとしたどうすることもできない不安にそそのかされると、私の心の中の火傷のような痕が疼いてしまう。
けれども頻度は減ってきてはいる。このまま頻度を減らせばいずれこの火傷が消える日も来るだろうか…

摂食障がいは思春期の女性に多いと言われる。年齢を重ねるにつれて治っていくのだろうか?
未来のことはわからない。
ストレスが溜まってどうしても衝動に駆られる日もくるけれど水をがぶ飲みしてちょっと胃に問いかけるものの答えはでない。

でも今はまだ「おいしい」という言葉を口に出しづらく、「満腹感」が怖い私がいる。
そんな悪い私を早く卒業したい。