去年、病棟看護師として2年働いた病院を辞めた。
看護師の退職理由として「人間関係」が多くを占めると言うが、人間関係にはとても恵まれていた。

では、なぜ辞めたのか。一言で言うと、心身ともに壊れてしまったのである。
夜勤による身体へのダメージや、毎日体力が非常に消耗されることの辛さは、それなりに割り切れていた。私が割り切れなかったのは、患者さんやその家族に感情移入してしまったときに感じる気持ちだった。

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今でも時々思い出す患者さんがいる。その人は90代で、頭は健康な人と同じように働くのに、体は動かない上に、あちこち痛む、食事もできないという状態で、息をするように「死にたい」と口にしていた。「もう充分生きたよ。この年になってこんな痛い思いをするのは嫌だ。はぁ…死にたい」と。「一緒に頑張りましょう」などと言うのが、そこで働く看護師の正解だったのかもしれないが、きっと、激動の日本を生きてきたであろうその人に「頑張りましょう」なんて口が裂けても言えなかった。でも、肯定するのも違う気がして、私はただ黙って話を聞くことしかできなかった。

夜勤でナースステーションで一人になったときには、この人にも生まれてきた時には誕生を喜び、成長を見守った家族がいただろうとか、若いときには私たちと同じように一生懸命働いてきたのだろうとか、生きるって何だろうとか、私がこの人の立場なら何をを思うだろうとか、考えなくても良いことを考えてしまい、涙が止まらなくなることもあった。

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他にも、夫の死に直面した奥様を目の当たりにして、この人は今まで2人で生きてきた家で、これからは1人で暮らすのだろうかとか、病気さえなければ、これから2人で老後の生活を楽しめたのかなとか、色々考えて悲しくなったり、患者さんにあまり充分に関われない忙しい日には、もし家族が入院して、看護師さんの対応がこんな感じだったら寂しいなと落ち込んだりすることもあった。それに加え、認知症の患者さんからの暴言暴力も珍しくなく、仕方ないことだと分かりつつ、毎回恐怖と悲しみを覚えた。

もちろん、働いていてマイナスな感情になることばかりではなく、仕事をしていて楽しい、嬉しいと思うことも沢山あったけれど、いわゆる「繊細さん」の私には、あまりにも感情が動き過ぎてしまう職場だったのだと思う。徐々にストレスは身体症状としても現れ、蕁麻疹が出たり、風邪を引きやすくなったりした。

退職したいことを師長に伝えるために設けてもらった面談の時間、師長が面談室に入って来て「どうしたの?」と言われた瞬間に大号泣してしまった。今まで抱え込んでいた気持ちを押さえつけていた防波堤が一瞬で壊れたのだと思う。師長は「今のこの状態で仕事を続けさせることはできないから、一度休職して、今後のことをゆっくり考えよう」と優しく言ってくれたが、結局私はその日を最後に退職した。

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退職した翌朝の私は、突然無職になって、やることがない状態だったが、不安や焦りはなく、むしろ心が軽やかで、何とも言えない安心感があった。しかし、そんな心の状態とは裏腹に、今までのストレスが体調として現れ、私はしばらくの間寝込んだ。

あの日から半年弱が経過し、体調も徐々に回復し、来月からまた新しい職場で働くことになった。次の職場として選んだのは、過去に経験した業界で、尚且つプライベートが優先でき、精神的にも負担の少ない分野である。看護師としてバリバリと激務をこなすことは、かっこいい、尊いと思う。

ただ、自分の体質に合わないのに、身体を壊してまで頑張るのは違うと思うようになった。辛い経験だったけれど、まだ20代の体力のあるときに、身を以てこの学びができたことは財産だ。我慢に我慢を重ねて頑張っていた、少し前の自分をたくさん褒めてあげたい。えらかったね、頑張ったね、ありがとう、私。