いつも単語テストには、全問正解で合格していた。英語の授業は単語テストで始まるから、授業前の教室にはピリピリとした空気が漂う。単語テストという名称からは想像できないほどの、苦行があったようなもので今思えば青春だった。

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私の高校生活は単語テストで始まり、単語テストで終わったようなものだ。毎日ある単語テストだったが、高二の夏休み前までは一度も落ちたことがなく再テストに行ったこともなかった。「学校が終わったら、一分一秒でも早く帰りたい」そんな想いで、一心不乱に毎日寝る直前まで単語帳を握りしめていた。もちろん、合格したときは毎回達成感で溢れ、気分爽快だったし、それを味わうために必死に単語テストにしがみ付いていたのかもしれない。

そんな私は、7月になると暑さに勝てなかったのだろうか、初めて単語テストに落ちてしまった。高校生の私にとって、この世の終わりともいえる出来事だった。単語テストが終わると、先生が再テストを受けなければいけない4名の名前を呼びあげると驚いた様子だった。今日のテストは難しかったのか。そう言われるだけでは済まない。私にとって、放課後は気分爽快な時間だったが、たった3分で地獄行となってしまった。

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そんな最悪な一日をどう乗り切っていいかわからなかった私は、泣くことしかできず今後の高校生活が見えず、学校をやめることまで考えてしまっていた。そんなとき、顔を見上げてみたら、クラスメイトの笑い声が聞こえてきて「一人じゃないんだ」と思えた。今まで私は単語テストに落ちたことがなかったけど、休み時間に単語帳を持ち寄り、ちゃんと覚えているかどうかチェックしあっているクラスメイトの姿を、何度も見てきたのだ。みんな必死で目の前のテストに対して、逃げずに必死に戦っている。だから、私も頑張って合格するまで再テストを受けよう。今日は落ちてしまったけれど、また何回でもやりなおせるチャンスはある。

そうして前向きな気持ちを取り戻した私は、再テストを受けるために教室に残っていたクラスメイトたちと教え合った。泣き崩れていた私とは対照的に、ほかの三人はケロっとした表情を見せ談笑している。今思うと、これも青春の一ページになっていくものなのだろうなあ。青春には愛おしい時間が存在することに、今になって気づかされた。最悪な一日が、何年か経つと何にも代えられない愛おしい思い出になるのだ。

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あのときは、単語テストに落ちることは死ぬことと同じくらい怖くて残酷な出来事なのだとさえ感じていた。でも二十歳になって、その瞬間をじっくり生きてみることもいいかもしれないと思うようになった。「今」しか味わえない生活や人間関係、勉強、窓から海が見える教室。今となっては、高校時代にそばにあったすべてが懐かしいし、ふと戻りたくなったりもする。もう戻れない時間に思いを馳せることは悪くなくて、苦しいことも楽しい思い出も贅沢な時間だったことに違いない。

今後の人生において、もう二度と受けることのない単語テスト。英語の先生にならない限り、生徒に単語テストを受けさせる側にもならない。だからこそ、あの最悪な一日を恋しく思える。そして単語テストが大学の勉強で役に立っているとは断言できないけれど、あのとき鍛えた集中力と継続力は確かに身に付いているはずだ。あんなにも毎日のように単語テストを受けるのは、ただの時間の拘束だと思っていた。今振り返ると、そうでもない。

大学でレポートを書くときにも集中力が必要だし、四年間で124単位取得し卒業するためには継続力だって欠かせない。大学を卒業するころには、この集中力と継続力がどれだけ鍛えられてか、もっと実感できると信じたい。

あの日の涙が、今の私を強くさせている。