一般的に人はどれくらい妄想の世界に浸かるのか知らないけれど、私は中高生時代に、推しのアイドルが教室に居たら……なんていうありきたりな妄想をして、毎日の退屈な授業をやり過ごしていたくらいには妄想が好きだ。

こうなったらいいな、もし○○だったら。教室にいきなり婚約者と名乗るイケメンが来てリムジンで連れ去られるとか、絶対にありえないたらればを妄想する授業時間。きっとこれくらいはあるあるだと思う。

でも私には、ただ妄想の世界を楽しむだけじゃなく、落ち込んで気分が晴れないときに、自分の妄想で自分におまじないを掛ける癖がある。強引なメンタルケア方法かもしれないが、メンタルが弱い私にとってこのおまじないは不安や憂鬱を和らげてくれるちょっとした支えになる。

例を挙げるとすれば、20年のまだまだ短い人生の中で1番しんどかった、高校3年生で受験という重圧に負けそうになっていたあの頃、当時の私は近所の眼鏡屋さんの看板を勝手にパワースポットにして気分を上げていた。
いざ今文章に起こしてみると、看板を妄想の対象にしてしまうくらい当時は気が滅入っていたんだなあと思う(笑)。

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その眼鏡屋さんは最寄りの駅から家までの徒歩15分の道のりの途中にあり、看板はコンビニやマクドナルドで見るような通常の1本の太い鉄製の支柱の上部に看板が付いているタイプのものと違って、支柱が2本あるタイプだった。2本の太い支柱はちょうど人が1.5人分くらいの間隔で立っていて、看板も地上3メートルくらいの低い位置についていた。

私にはその形が小さな鳥居のように見えて、「これをくぐればご利益がある!」と勝手に妄想し、パワースポットに認定した。それから、その眼鏡屋さんが登校時間と下校時間は営業していないことを確認して、ほとんど毎日、その鳥居(看板)をくぐるようになった。

さすがにお辞儀をしてくぐるには人目が気になったので、歩道から1メートルくらいずれて眼鏡屋さんの敷地を歩き、なんてことない顔をして2本の支柱の間をすり抜けるのがいつものスタイルだった。

実際に通ってみる。どこでもドアでも何でもなく、ただの看板と支柱でできた鳥居なので、もちろん実際の景色は何も変わらない。でも、その「思い込みパワースポット」は、なぜか気持ちをプラスの方向に押し上げてくれて、なんとなく景色が明るく見えるのが不思議だった。

憂鬱な登校も、不安を煽る模試の点数を見たあとの下校も、そこを通るだけで少し前向きに気持ちを切り替えられた。他の人にとってはただの看板で、それが気持ちを切り替えさせてくれるものだなんて理解されない。そんな事実も、「誰も知らない私だけの秘密のパワースポット」の存在価値を高めてくれる要素だった。

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今は地元から離れた大学に進学したことでその看板をくぐる習慣はなくなってしまった。たまに帰省すると、駅から家に行くまでの通り道に変わらずその看板を見ることが出来る。

でも、そこをくぐって通ることはしない。私にとって、近所の看板を勝手にパワースポットにして気分を上げていた習慣は、受験生でプレッシャーに負けそうになりながらも必死に前向きに頑張ろうとしていた苦くてまぶしい青春の思い出の1つだからだ。
たぶんこれからも私は、つらい時は自分で新しいおまじないを妄想してつくって、自分だけの大事なものを増やしていくのだと思う。つらい経験の分だけ成長して、そしてその分私だけの大事な思い出もたくさん抱える大人が、私のなりたい大人だ。