私は季節で何が一番好き?と聞かれたら迷わず「夏!」と答えている。
「えー、暑いじゃん。」
「えー、焼けるじゃん。」
「えー、虫たくさんいるじゃん。」
こんな声があちらこちらから返ってくる。気がする。
確かに夏はすごく過ごしにくい。
ただ夏にも最適なことは絶対にある。
夏のあの暑さを想像して、あの暑さの中で何をしようかそれを考えるだけで、なんだかワクワクしてくる。
そう言い切れるほど私は夏を夏として思いっきり楽しんでいる自信がある。
今日は今年の夏、どんなふうに過ごしたいかを書こう。
これを読んで想像して、少しでも夏にワクワクする人が増えたらいいなと思う。

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私はこの夏、どうしても行ってみたい場所がある。
それは京都の古本市だ。そこで古本を買いたい。

京都の古本市とは、毎年8月に京都の下鴨神社、糺の森で開かれている、納涼古本まつりのことだ。この古本市は2022年に第35回を迎えた歴史のある古本市らしい。毎年毎年この古本市でたくさんの人とたくさんの本が新しく出会っているようだ。
私は森見登美彦という作家さんが大好きで、彼の作品にこの古本市の描写がしばしば出てくる。
だから私にとっては特別でとても憧れているまつりなのだ。

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京都の夏は暑い。
暑い中、屋外に古本屋が集まってたくさんの本が出品される。
想像してみてほしい。
太陽がさんさん、いやぎらぎらと照りつける真夏の神社、空は青空で真っ白で大きな入道雲が出ている。

近くの森には蝉が大量に生きていて、みーんみん、しゃわしゃわしゃわとなんの脈略もなく鳴き続けている。
暑すぎて蜃気楼であたりがもやもやとしている。
太陽が反射した地面からも熱気がたちこめていて、砂の粒がキラキラ光ってそれすらも目を刺激する。
顔からも腕からも汗が滴り、それを微かな風が冷やしてくれるが全く追いつかない。

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古本市には小さな子どもからおじさんまで、いろんな年齢の人がいて、いろんな声がする。いろんな音がする。そんな中、よく知らない古い本の迷路を私たちは延々と旅するのだ。
暑さにやられて頭はポーッとして、きっと一冊一冊の表紙なんてじっくり焦点を合わせてられないだろう。一つ一つの題名が見えたとして、そこからどんな話なのかを想像する気力と頭のキレはきっともう残っていない。

ミステリなのか、恋の話なのか、フィクションなのか、はたまた小説なのかさえ、この状況下で判断することは難しくなる可能性もある。
こうなったらもう、そこでの本の選び方は直感のみを信じるしかない。様々な色、大きさ、厚さの本の中から、感覚で選んでいく。

そうやって選んだ本はきっといつもの冷房の効いた本屋で選ぶのとはまた違う、特殊な状態の自分が何かしらの運命を感じて選んだ本になる。そんな本に会う機会はこの真夏の古本市にしかないのではないだろうか。
そう考えただけで、夏の意義がある。夏にワクワクする。

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また本を買った後も大事だ。
流石に暑さにやられて、こんな時間を続けていたら私は倒れてしまう。
だから私は、糺の森の木陰のベンチに腰をかけて、そこら辺で買ったキンキンに冷えたサイダーを飲みながら、選んだ本をパラパラと読みたい。

サイダーと森のおかげで少し涼んだ頭で、物語に浸ってみたい。
夏の暑さの中だからこそ木陰が気持ちいい、サイダーが美味しい、読む本もきっと面白い。ここにも夏の意義がある。夏にワクワクする。

以上が私がこの夏にしたいことだ。
いかがだっただろうか。
夏の日差しのもとで本を探すなんて、想像しただけでくらくらしてくる。くらくらするくらい私にとってはとても魅力的である。