癖を自分で見つけるのは、結構難しくて新鮮だなあと思った。でも、見つけ始めるとあれもこれも自分の癖に思えてきて、笑ってしまった。そのなかでも人には言えない癖。
一つは音楽の聴き方に関することだ。
それは、「相手になりきって曲を聴くこと」。

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どういうことか。例えば、『俺は君を幸せにできなかった。君はこんな俺じゃなくて、ほかの誰かと結ばれて、もっと幸せになれよ』的な曲はこの世にたくさんあるだろう。その曲を女の子の『君』として、「ああ、本当は私だって元彼と幸せになりたかったのに、辛いな、苦しいな、寂しいな、でも次の恋に進まなくちゃ」と聴くのが一般的だとする。
私の場合は、『君』じゃなくて『俺』目線で聴く。元彼の気持ちを想像して、まあ少しくらい自分都合に脚色はしているだろうが、それは一旦置いといて、「ああ本当は俺、百ちゃん(私)とこの先も幸せな未来を作っていきたかった。だけど、俺なんかじゃふさわしくない。辛いけど男だし、俺から先に突き放して、離れてあげることが百ちゃんのためなんだ。苦しいけど、しょうがないんだ」みたいなことを今もあいつ得意げに思って武勇伝にしてるんだろうな、うざあ、ばーか、と聴くことが癖である。まあでもそのあとに、ああやっぱり辛い…となるので、結局二重傷つきをしてるただのマゾだとも言えるのだが。私は誰かにあてがって聴くことが癖だ。二人称で聴くとも言えるかも。

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もちろん、この曲は私だ!と思って聴くこともあるが、それも気持ちを人格に憑依して聴くことが多いかもしれない。例えばYOASOBIのアイドルという曲だったら、私がアイドルになったらと考えて、るんるんしながら聴いている。それがとっても楽しい。
だけど逆に優里のドライフラワーのような、ド失恋ソングを聴くと、病むことが目に見えているので、病みたい気分のときにしか聴かない。めちゃくちゃ一人称悲しいソングに関しては、相手目線で聴くのが難しいので、自分はこの曲のMVに出ている女優さんだと思って聴いたりするときもある。
これは妄想癖とも言えるかもしれないが、私は曲を聴いているときに大体、頭の中に映像が浮かぶ。なので、映画を観ているような感覚にも近いかもしれない。加えると、この曲はこんな演出で、こんな二人の映像を作ってみたいなあ、など考えながら聴いているときもある。私は悲劇のヒロイン症候群プラス主人公シンドロームな性格だと自覚しているので、劇場的な気分になりたいがゆえの癖かもしれない。

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こうやって自分の癖を言語化して書いていると、なんだかめでたくて笑ってしまう。自由奔放な思考を、理性でどうにか頭の中だけに抑圧している気もしてきた。そんな私の癖は、たまに、少しバッドな出来事を引き起こす要因になっているので、ちょっと迷惑しているのだが…。
それは、曲に対して感受性を持ちすぎるゆえに、自分が現在進行形で悩んでいる現実の問題を肥大化してしまうということ。例えば、彼氏と少し喧嘩しただけなのに、もう二度と会えない、離ればなれとか思ってしまう病や、彼目線で私に沼っていく曲を聴き、調子に乗りすぎて悪魔のような女になってしまう問題が挙げられる。
一番厄介なのは、付き合っている段階で、恋の終わりを男性目線で歌う曲に私がハマり、それを彼氏に話しまくり、気づかないうちに彼が洗脳され、無意識のうちに、その曲に描かれている恋の終わりと似たような感じで別れへ走ってしまうということだ。実際前の彼氏とは、そのような風にも終わった。そんなことある!?と思われるかもしれないが、私は無意識のうちに曲のシナリオ通りの恋を望んで、突き進んでしまっている説が濃厚なのだ。恐ろしい女や…とたまに自分で他人事のように思ったりする。
まあでも、この癖が私の人生を彩るスパイスになってるから、まあいっか!ということにしている。さて、この夏はどの曲が私と彼の主題歌になるかな?