いまや二重埋没に学割があるような、そんな広告が山手線にたくさん貼ってあるような、時代になった。理由はSNSの発達とスマホの普及、高画質な自撮り、そのあたりだろうか。
美容系YouTuberと呼ばれる人の中に一定数、整形をしていることを明かし、それをアピールポイントとする人が出始めたのも、2010年代の終わり頃からのように思う。

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日本の二重至上主義は一部のオリエンタリズムを良しとする他の地域の人から見れば変なのだろうし、そもそも顔の骨格が違うのにプロテーゼを入れて鼻を高くしたところで馴染まない、という意見があるのも理解できる。

わたしは過去に二重埋没(メスを使わない二重手術)を2回、二重切開(メスを使って切開し縫合する二重手術)を1回、行っている。基本的に気づかれたことはない。仕上がりに整形っぽさがないからなのか、整形しそうなキャラクターだと思われないからか、わからないけれど。

子どもの頃から、一重まぶたはコンプレックスだった。基本的にスクールカースト低めだった小中学生時代、「ブス」「笑った顔がキモい」と言われたことは数知れず、“かわいくない子“としてポジショニングされていた。逆手にとってそんなことを言ってくる男子にものすごい笑顔を向けたりしていた。

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高校に入って、化粧をする子も増える。わたしも例に漏れず雑誌を見てアイプチやアイテープやバンソウコウをまぶたに塗ったり貼り付けたり、アイラインを引いてみたりしていて、ある日部活の休み時間に先輩から言われたのは「あれ、真野って一重なんだ。目大きいから二重かと思ってた」という一言だった。
さりとて、その一言でわたしが二重への執着をなくしたかといえばそうではない。

小学生の時から、高校生だった時も、親からの言葉の暴力は激しく、正座して延々と詰られながら目を合わせろと言われれば睨んでいると言われて責められ説教は長引き、目を伏せれば寝るんじゃないとキレられ(そんな状況で寝るわけがないのだが)ていた。
つまり、わたしの目はいわゆるアジアンビューティ的な、キリッとした薄い一重ではなく重い一重だったのだ。

自分の親族がみんな一重であることもわたしの心を重くした。家族が、親戚が、名字が嫌で嫌で仕方がなかったわたしは、その名字の遺伝子が一重まぶたに現れているような、呪いのような気がしていた。

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そうしてハタチを過ぎたある日、SNSのフォロワーが「埋没してきた!」と写真をあげていた。なんとなく整形というものがあることは知っていたけれど、その日フォロワーが埋没した病院や術式を教えてくれて、整形は一気に身近に感じられるようになった。

これをやれば、一重でなくなってこの名字の呪いから逃れられるかもしれない。わたしは検索を重ねに重ね、ついにある日埋没をした。数年の保証付きだった。ぱっちり二重、とまではいかなくても、どんなのりやテープでも二重にならなかった目が二重になっていた。その時働いていた職場でも、親しい人にしか気づかれなかった。

保証の期間内に糸が取れ、まぶたが一重に戻ったり二重になったりするようになって、わたしは2度目の埋没をした。けれど、それもまた取れるだろう、という予感があって、一重に戻るのが怖くなったわたしは転職のために空いた数ヶ月に切開をすることを決めた。その時はのちに結婚するパートナーと同居していたが、パートナーはわたしが満足するなら、と術後のひどい出血や腫れも見守ってくれた。

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こうしてわたしは(基本的には)消えない二重を手に入れた。雑誌を読んでいた頃はアイシャドウを同じように塗っても仕上がりが違ってなんでわたしみたいな一重の人は雑誌に載らないんだ、と思ったし(今でも雑誌やYouTubeやTikTokで綺麗にメイクをしているのはアジアンビューティな一重の人だ)、薄い一重の人はアイプチで二重になる上に埋没が取れなくて安く済んでいいな、と思うこともあった。

たまに、鼻を小さくしたいな、と思う時もある。でも、実家を離れ、パートナーと暮らして自己肯定感が多少マシになったおかげか、真剣に整形しようと考えて検索をすることは基本的にはない。

別に整形をしようとしまいと、男でも女でもどちらでもなくても、その人が自分を受け入れて過ごせているならそれでいいと思う。わたしもジェンダー自認が揺らいでいた時に乳房の切除を考えたことがある。
わたしのように、整形をして心の安寧を得る人もいるだろうし、それなら、たぶん整形は手段のひとつだろう。
家族やジェンダーに悩んでいる人の救いになる整形を、できれば否定はしないでくれたら嬉しいな、と思う。