今年の夏は、人生で一番一瞬で過ぎる夏になると早くも予感している。
保育士になって二年目。私の働く放課後等デイサービスでは、日々放課後に発達障害を持つ子供たちを預かり、療育をする。

だけど、夏休みとなると話は別だ。夏休みは、子供たちは毎日一日預かりとなる。学校に迎えに行く平日とは違い、各家庭まで毎日送迎に行くのだ。夏休みは、毎日が怒涛の様に過ぎていくと先輩社員は言っていた。

「私去年の夏休みの記憶ないんだよね(笑)」そう言う貫禄たっぷりの二年目の先輩を見てぞっとしたものだった。

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去年、初めて「怒涛の夏休み」というものを社会人一年目だった私は経験する予定だったのだが、結局半分しか貢献していない。というのも、夏が始まって早々コロナにかかり約二週間も会社を休んだからだ。

となると、今年の夏は初めてどっぷりと子供と関わる夏休みが待っている。そう考えると、楽しみ半分・不安半分であった。

発達障害を持った子供たちの療育というのは、本当に難しいのだ。ただ子供が好きだからという理由で入社した放課後等デイサービスなのであったが、どういった特性を持っている子が来る場所なのかをもっと理解して入社すればよかったと毎日思っていた。

私も二年目になって、可愛い新人二人がやってきた。彼女たちはもともと発達障害について大学で学んできた子たちなのであって、もちろんそういう子の理解も私よりも十分できている二人であった。

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英語学科出身で、就職の時に何となく子供が好きだという理由で駆け足で保育士資格という名ばかりの資格を取った私なんかと違って、彼女たちには四年間しっかり学んできたことが日々生かされているようで、どんな場面に遭遇しても、右往左往している私とは違ってすぐに対処できる素晴らしい二人だと思った。

入社してすぐは彼女たちに何もかもを教えなくてはいけないと、支援のことは頼りながら、事務のことは一応先輩として一通り教えて毎日頑張ってきたつもりだった。
だけど、最近になってふとそんな前向きな彼女たち(といっても後輩なのだが・・)と自分のふがいなさを比較してしまうようになった。

「こういうのどうですか?発達障害のADHDの特性がある子にとってはこんなレクがいいと思うんですよ」。

前向きにミーティングで発言する後輩を見て、そのキラキラした目に圧倒され、そして私には果たしてこんな野心はあるのかというところまできた。

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そして先日追い打ちをかけるようにさらに自分と他人を比較してしまうことがあった。
それは、もともとこの放課後等デイサービスでアルバイトをしていた現在保育士として働いている方にお話しを聞こうというレクが企画されたのだった。

実際に私たちが見ている小学生・中学生とは違って、乳児や幼児を日々見ているという彼女のお話は、私がやりたかったことだらけで詰まっていた。

本当は私もピアノを弾きたい。手遊びがしてみたい。だけどここでやる仕事はもっと高学年向けの、時には自分がやりたかったこととは言えない療育も含まれたレクリエーションだった

もっと考えて入社すればよかったという気持ちは、こういうタイミングで何度も訪れた。それは自分にはできないことを目の前の人が叶えているのを見た瞬間や、自分には持っていない野心を抱えて今の放課後デイサービスの仕事を楽しんでいる後輩を見る時だった。

だけど。と私は思う。ここでしかできないことも沢山あるのではないか。ここには答えがない、隣の芝生にはやりたかった答えがある、そんな簡単な気持ちの移ろいで転職してしまうには、子供たちにもう母性が十分湧いてしまって今更ここを離れたくない。

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ここでできることを夏休みはいっぱいしよう。あれもできない、これもできないと諦めるのではなく、ここでしかできないことがいっぱいあるはずだ、今までにやってこなかったことも沢山取り入れて、みんなにどんどん提案していこう。

そう覚悟してから、夏休みの用意が楽しくなった。本当は工作が好きだ。ピアノが好きだ。ピアノが弾きたいなら、キーボードを持ってきて楽しいレクをここでやってみよう。やったことないけれど、できるのではないか。

夏に向けた私の作戦、それは私にしかできないことをここで探すことだ。