二重整形を決意した私。初めて何もかも自分のために、自分の納得する決断ができた日。ひとつのコンプレックスと面倒なアイプチ生活に終止符を打った。
元々引っ込み思案で、コンプレックスのせいで意思表示ができない、酷いと意見しようとしても自信がない話し方をしてしまい、言葉に説得力を持たせられないことが、更に自信を損ねるコンプレックスとなっていた。

アイプチが不満やストレスになり、自信のない自分が嫌いで手術を決意

小学校でのいじめを経験して以来、容姿に対して全く自信を失った。高校時代にも「〇〇って二重だったら可愛いかったよね~」なんて、友だちの心ない声が後になってジワジワと胸に沁みて頭を悩ませた。
コンプレックスを持ってること自体、ましてや顔を変えたいなんて、申し訳なくて恥ずかしいことだと思っていたから、家族にも友だちにさえも相談出来ないでいた。それでも有名人や芸能人の大きくぱっちりした目元にずっと憧れがあり、そうなりたくてひそかに毎日バレないようにアイプチをしていた。

実際に手術を決意したのは、4年間のアイプチ人生でも二重の癖ができない瞼への不満や毎朝メイク時に二重作りに手間を取られたり、日中も絶えず気にしてしまうストレスから。何よりもそれが原因で、人前で自信のない自分が一番嫌いだった。
また、このご時世マスク生活のため、余計に目元の印象が薄いことが露呈しているように思えた。

お金があれば美が手に入るというのは勘違いで、精神力と努力が必要

どんな整形も人体にメスを入れている為ダウンタイムがあるが、自分のイメージ通りの仕上がりになっているかどうかは、腫れがある程度ひかないわけには分からない。手術後は、このあざだらけの腫れた瞼が本当に元通り綺麗になるのか?という疑問が1ヶ月は続いた。
時々携帯で以前の自分の顔写真を眺めながら、手術前の自分はもういないんだ、この腫れやあざが引かなかったら前のままの方が良かったかもしれない、などと物思いにふける夜もあった。期待と不安の中、ひたすら保冷剤で瞼を覆う日々が続いた。
不運なことに、私の場合は納得のいく二重瞼のかたちにならず、2ヶ月後、再手術を行った。

整形は、もちろん金銭面の負担や精神的ストレスがあるが、自分の理想を求めるのには相当なリスクや苦労があると、身をもって経験する機会となった。
テレビやSNSでの芸能人の方の整形は、それぞれの苦労が分からないほど美しく見えるため、お金があれば簡単に美が手に入るものだと勘違いしていた。
しかし、現実はかなりの精神力と努力が必要だった。

自分を自分で肯定できれば、人生がどれだけハッピーになるだろう

美容整形が自己満足の世界と言われてしまえばおしまいかもしれない。
だけど、自分自身が綺麗になり、自分が一番自分を肯定できるようになれば、これからの人生がどれだけハッピーになるだろうかとポジティブな気持ちで捉えている。実際、以前よりも堂々と、毅然と相手の目を見て話せるようになった気がする。ちょっぴり恥ずかしいけれど、綺麗になった自分を見てほしいという感情が出てきたことも大きな一歩だと感じている。
整形というひとつの決断を含め、一つ一つの経験から物事のさまざまな見解を持つことが出来ている。更に見かけだけではなく、元々持ち合わせているパワフルなエネルギーを放っていこうと努力している。
これが、自慢したい私!