29歳会社員で、一児の母。どこにでもいる、ごく普通の女性でしかない私だが、名前を検索エンジンで調べると、生い立ちについて紹介された記事数本がヒットする。どれもテーマは同じ、「地方移住」。関西の都心で生まれ育った若者が、高校時代に抱いたライターになりたいという夢を叶えるため、縁もゆかりもない関東圏のとある地方企業に就職し、充実した生活を送っているという内容がまとめられている。
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最初に取材依頼があったのは、社会人2年目の秋だった。移住定住事業に力をいれる行政がPRサイトを作成するため、移住者モデルを探していたという。その一人として声が掛かった。ライターに憧れたきっかけや現在の仕事内容、移住した街での生活や魅力など存分に語った。完成した記事を読むと、さまざまな逆境を乗り越え、移住によって人生を切り開いたたくましい女性の姿が描かれていた。自分とは思えないくらい、立派に。
光栄だったし、家族や友達にも見てもらいたい思いはあったが、掲載後、知人には一切知らせなかった。オープンな情報とはいえ、元々、人前に出るのが好きではなく、気恥ずかしさが勝った。それに、現実とは程遠い。格好よく言えば、夢を実現させるために住み慣れた地元を離れ、新天地で仕事に奔走した。実際は、ライター職を募集している全国50社近い会社から不採用の通知を受け、ボロボロだった私を、今いる場所が唯一受け入れてくれた。拾われた身でしかないのだ。会社や街に感謝しかなかった。恩返しにつながるなら、何でもやろう。地域振興につながる仕事は、すべて受けると心に決めていた。
それなのに3回目の取材依頼があった時、すぐに二つ返事できなかった。転勤族の彼と結婚を決め、街を離れる可能性があったのが大きな理由だが、そろそろ殻を破りたかった。街を気に入っているのは確かだ。だけど、やっぱり地元が好きだし、居心地がいい土地を問われたら、迷わず関西と答える。何より、私はライターの仕事を通して社会とつながっていたかった。移住という選択が自分の価値を高め、仕事の幅を広げた一方、ライターとして認められる日が遠のいていく気がした。
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「最後にしよう」。心に決め、取材に挑んだ。今回は、20、30代女性を主な対象に、理想の生活を叶えるため週末を楽しむ工夫や情報を発信しているウェブメディアからだった。同世代の彼女たちに、社会の常識や求められる自分像にとらわれず、もっと自由に生きてほしいと伝えたい。自分に言い聞かせる意味でも。その一心で、これまで明かさなかった行きつけの店や親しい人も巻き込んで、自身の生活や思いを洗いざらい話した。記事を読んだ時、ほっとした。街の魅力をちゃんと語れている。移住を肯定できている。
翌年、彼の転勤で他県に移り住んだ。幸いにもそれ以来、同じ類の依頼は来ていない。望んでいたとはいえ、自分の思いを発信する機会が減ったのはちょっぴり寂しい。いまだに、検索しては記事化された“自分史”を見返してしまう。特に、行き詰った時だ。悪い癖のようにも思えるが、過去の栄光に引きずられているのではない。目標に向かって一直線で、理想と現実のギャップにもがき苦しみながらも何かを変えたかった、かつての自分が発した言葉が今の私にパワーをくれるのだ。私はライターとして、やりたいことがまだある。ここでは終わらない。新しい自分の可能性を信じて、再び前を向く。