向上心、何かを成し遂げるために前向きに生きること。
私を突き動かすもの。心に繋がれた鎖のようなもの。だから外すことができない。捨てるには、心ごと粗大ごみに出さなくちゃいけない。

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20年生きて思う。自分の価値観、行動指針は今更変わらない、簡単には変えられないということ。中学時代、偏差値の高い高校に進学するために勉強を頑張ったこと。高校時代、文化祭やイベントの委員長を務めたこと。大学時代、企画代表を務めたこと。やりたいことにやりたいと動くこと、目標を達成するために努力すること。それが私のモットーになっていた。言葉に書き起こすと、とても立派なことだし、実際周りからも言われる。

「もう、そんな生き方しかできない」
違和感がある。やりたいことをやりたいと動くことは何も悪いことではないし、もはや良いことだ。それは私も知っている。

それでも、もう苦しい。もう逃げたい。このターンが来る。理想を追い続けることは苦しい。でも現状維持だけでは満足できない。
自分の身の程を知った上で諦観し、多くを求めずに、現状維持で満足に生活をしている人たちを見ると思う。なんで私はこんなに、苦しい道ばかりを目指すんだろう。何かを成し遂げることがそんなに偉いのかと。
何かを成し遂げることが偉いということ。その考え方は、そうやって私がお母さんに育てられたからしょうがないのかもしれない。今更恨んでもどうにもならないことがいつしかわかって、どうにか噛み砕いて前向きに事実を受け入れて来た。いつも、学校のテストや模試の点数や、ピアノの発表会、テニスの試合、何かが「できること」ばかりを褒められて来た私は、何かを成し遂げないと自分が認められない存在なんだと、どこかで無意識に思うようになってしまった。

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そんな完璧主義だった私は、去年新卒で入った会社で心身を病み、早々に辞め、社会から外れた。会社を辞めたことにおいて後悔はなかった。逃げるという選択をしてよかったと思う。
会社を辞めて後悔がない理由は、「やりたくないことをやり続けること」が私にとってすごくストレスで、だからそれで心身を壊すくらいなら、壊れる前に辞めようと心の底から思えたからだ。

それでも私がさいなまれるのが、向上心という怪物だ。
会社を辞めて、ある程度の時間がたった頃から、私に前を向かせようとする呪いをかけてくる。何かをしなくちゃいけないという脅迫概念を感じることが強くなった。
何かを成し遂げられない自分を悲観し、自己肯定感を自ら下げるような思考回路が出来上がった。元気もなくなった。
元気を取り戻すために、会社を辞めて休んでいるのに、精神科の先生にも「今は肩の力を抜いて、何もしないをしましょう」と言われているのに、ずっと自分の心を自分で追い詰めていた。
向上心を捨てれば楽なのかもしれない。でも果たしてそれは本当に私が幸せになるのか。向上心を捨てるということは、私が私を捨てることにならないか。答えの出ない毎日が今続いていた。

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ある夜、私はそんなに何を焦ってるんだろうと考えた。頭に出てきたものを並べてみたら結局それは、他人との比較で生まれているものだと知った。私の偏見、思い込み、空想そんなのも混じっている気がした。それは自分の脳内で作り上げた怪物と、自分で戦っているだけなのでは、とそんな気がした。
「あ、一旦考えるのやめよう」
そう思った。向上心とか一旦考えるのをやめよう。そうすると、少し疲労感が和らいだ気がした。ああ、考えすぎって怖いな。向上心を持つことは大事だし、元気になったらまた前へ進んでいきたいという希望もあるけど、自分が今苦しいと感じたり、元気がない時は、無理に「頑張らなくちゃ」と思うのはやめよう。一時的に向上心から逃げよう。そうやって、自分を愛することも大事なんだ。私はそれに気づくことができて、幸せへの第一歩を踏みだせたかなと思う。