人生において最初で最後の一目惚れは私が高校3年生の夏休み前のことでした。結局、付き合うことはできませんでしたが、今も私が地元に帰る際には必ず会いたいと思う大事なひとになりました。

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私は高校3年生の頃、生徒会長を務めていました。文化祭の生徒会執行部からの出し物として、ステージの壁一面の大きさのモザイクアートを作ることになっており、その日も生徒会室前の廊下に模造紙を広げて制作していました。

ゴミ袋をもらおうと生徒指導室に生徒会顧問の先生を訪ねに行きましたが不在で、そこにいた先生に「数学科室にいる」と教えてもらいました。しかし、数学科室にも顧問の先生はおらず、代わりにいたのが私が一目惚れした先生でした。

入口に立つ私に気づいて部屋の奥からふらふらと歩いて出てくる先生は手足が長い印象でした。文化祭準備で使うゴミ袋をもらうために顧問の先生を探している旨を伝えると、先生はいないからこれを使っていいよと数学科室のゴミ袋を渡してくれました。

理系科目は最低限しか取っておらず、その先生のことは存在すらも知りませんでした。なにか特徴的な顔かと言われればそういうわけではないものの、鼻にかかった高めの声と黒縁メガネの奥で優しく笑う目を見た瞬間「あ、好きかもしれない」と感じました。

その場はお礼を言って生徒会室での作業に戻りましたが、顧問の先生に「数学科にいる、黒縁メガネの、リストバンドの上に重ねて腕時計をしている先生」はだれなのか、彼女はいるのかを聞き漁り、その後、数学科室の前を余計に通るようになったのは言うまでもありません。

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それからすぐに夏休みなり、補講期間に入りました。お昼過ぎまでの補講が終わった後も図書室に残り、志望校の英語の過去問を解いていました。長文読解は数学の文章題を英訳したような問題が多く、数学の知識がないと解けない内容でした。

私は極めて理系科目が苦手で、もちろん高校でもなるべく数学科目は取らないようにしていました。でも英文は読めても、計算式が立たずに解けないのでは合格は難しいと思い、嫌々2年生のときにお世話になった数学の先生を訪ねました。

夏休みということもあり、数学科室には数名の先生しかおらず、目当ての先生は不在でした。でも運よく、一目惚れしていた先生がいて、数学を教えてくれることになりました。私の学校では各教科室前の廊下に可動式の黒板があり、そこで質問に答えてくれるシステムになっていました。

私の数学のできなさに驚きつつも、先生は丁寧に問題を解説してくれました。それから毎日、補講終了後は数学を教えてもらう時間になりました。いつしか数学だけでなく、ギリシャ神話、好きな作家や本などたくさんの話をしながら日が暮れるまで過ごしていた先生とのお話タイムがなによりもの至福の時間であったことは間違いありませんでした。

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秋学期が始まり、冬になり、クリスマスに2人で食事をしても私が彼女になれることはありませんでした。同級生カップルの青春そのものを横目でみながら高校生活を送ることは辛く寂しいもので、何度好きでいるのをやめようと思ったか分かりません。

結局、告白もせず、卒業してもしばらくは諦められずに、よく言う「時間が解決してくれる」という言葉を信じて大学の入学式を迎えました。社会人になり、2つ隣の駅に引っ越したと連絡をもらったことをきっかけに毎月飲みに行くようになり、今では実家に帰る予定が決まったら1番先にスケジュールを確認する大切なひとになりました。

季節の変わり目にはどちらからともなく連絡し近況を報告しあっています。いわゆる青春のようなものを味わうことはできませんでしたが、今思い出しても好きだったなと思えてしまうほど、素敵な思い出をくれた先生には感謝しています。