「女性の年齢=クリスマスケーキ」というバブル期のパワーワードがある。

今年25歳になった私からすると、何がクリスマスケーキだ、と思う。
何が結婚適齢期だ、と。

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確かに知人のInstagramで婚姻届と指輪が3つ並んでいる画像が投稿される頻度が増えた。
そのせいかInstagramのおすすめ欄が「女子の憧れ!人気ブランドの婚約指輪一覧」や、指輪と大きなバラの花束を持った「【ご報告】」など見ず知らずの人の入籍報告投稿も見かけるように。

「おめでとう」と思う気持ちと「羨ましい」と思う気持ちがある。
「羨ましい」という気持ちはきっと「結婚=幸せ」とどこかで凝り固まった思想が抜けきれないからだろう。

私もいつかは結婚したい。
いつか、いつか左手の薬指に大好きな人からもらった指輪をつけて、白いふわふわのドレスを着たい。
大好きな人と毎日他愛もないことで笑って、夏の夜はコンビニまでアイスを買いに行きたいし、冬は「寒い寒い」と身を寄せて肉まんを買いに行きたい。
眠れない夜は二人で夜更かししたりしたい。
結婚記念日は特別なことはなにもしなくていいけど一緒に過ごしたい。
自分の両親のような歳を重ねても仲の良い夫婦になりたい。

どちらが先に死ぬのかわからないけれど、骨を拾ってほしい、拾いたいと思える相手に出会いたい。

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結婚したけれど離婚した人も周りにいる。そういう人らは必ず「結婚すれば必ず幸せになれると思っていた」という。
確かにそうかもしれない。
結婚が人生のゴールではないし、むしろ人生の第2スタートだと思う。

「結婚=幸せ」というより、「好きな人とずっと一緒にいることの幸せが、今の日本には"結婚"という手段しかない」が近いのではないかと思う。
結婚をすることで法的な関係が結ばれる「安心感」を求めてる人もいるのではないだろうか。
その安心感を求めるだけの婚姻関係を結ぶと、それが徐々に破綻していき、離婚という結果になるのかもしれないと思った。

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今後の自分の人生はどうなるか全くわからない。
もしかしたら仕事に生きる人間になるかもしれないし、逆に辞めてしまうかもしれない。
男女問わずどんな出会いがあるかわからないし、
もしかしたら推しと運命的な出会いをしてしまうかもしれない。

それだけでなく、事故に遭ったり、病気になるかもしれない。
寝たきりになったり喋れなくなったり歩けなくなるかもしれない。
私自身だけじゃなく家族の健康に何かあったらそばにいたい。

いつか結婚したいと言ったけれど、本当にできるかどうかはわからない。
結婚という選択肢でなくとも、私は私が心身健康で好きなものに囲まれ、幸せに過ごせる日々を送れるのであればそれはそれで私らしくていい人生だと思う。