最近気づいた。なんらかの理由で感情が昂りそうになると、わたしは全ての感情を殺してしまう。

例えば。気づいたきっかけは、人を好きになったとき。相手の魅力に気づいて、だんだん、だんだん好きになって、もうどうしようもないくらい好きになると、突然、ラインのやり取りや会っている時の会話が冷たくなる。表情筋さえろくに動かさない。狂いそうなほど好きなのに、わたしの声帯が発するのは、感情に反して凍りついた言葉たち。

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例えば、人が亡くなった時。昔お世話になった先生が若くして亡くなり、その訃報が耳に入った。姉妹揃ってお世話になったから妹は泣いていたし、夜ご飯いらない、と言って部屋にこもった。わたしは涙も出なければいつも通りご飯を食べて、アニメを見て、眠った。母はそれを見て「何とも思わないの?」と言った。誰もが、人間が亡くなると泣いて悲しむと、それが正解だと、それほど感情が豊かだと、思わないでほしかった。

例えば、浮気をされた時。「浮気はしてもいいから、バレないようにしろって言ったよね。今後も関係は続けていいから、もうバレないでね」と伝え、怒ることも、悲しむこともなかった。本当は怒鳴りたかったのかもしれない。本当は悲しくて仕方なかったのかもしれない。彼は泣いて謝って「もうしない」と相手の連絡先をわたしの目の前で消していたけど、強がりではなく、本当に何も感じなかった。

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昔、よく両親の喧嘩を見ていた。手を出したりするわけではなく、ごく普通の夫婦喧嘩だった。理論で攻める父と、感情論でぶつかる母。母は途中でめんどくさくなって、口論を諦める。父は納得するまで話し合いたいから、口論をやめさせない。結論の出ないまま終わるから、父はわたしに母のことをグチグチ言っていた。

「ママは、おかしいの。もう俺は、ママは病気だと思ってる。あんなに感情に任せてあーだこーだ言って、俺の質問にも答えず、結論も出さずに話し合うの諦めるでしょ?」

子供だったわたしは無意識ながら学んだのかな。昂った感情を出すと大人げないし、恥ずかしいことだし、病気だと思われる、と。昂った感情は出さず、静かに、冷静に、客観的に見ていた方がいい、と。

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今までお付き合いした恋人に振られた理由の多くは「本当に好きでいてくれているのか分からない」「ほんとお前感情ねえな」「もっと感情とか、意思とか見せてほしかったし、考えてることも教えてほしかった」といった感じ。

狂うほど怒りに満ちたことはないけど、ひとりでにやけてしまうほど嬉しかったこと、頭が痛くなるほど後悔したこと、涙が出そうなくらい楽しかったこと、全てがどうでもよくなるほど何かを好きになったことはある。この感情はどうすればいいんだろうと思い、辿り着いた先は、感情を殺すことだった。それが大人というものだと。