私がこの世で一番嫌いな言葉は、「お腹を痛めて産んだ子なのに」である。
その言葉はいつだって、私に人間として選択する権利や意思というものを追い剥ぎのごとく奪い取る。

25歳に結婚しないのは行き遅れ、女は寿退社までお茶くみでもしておく職場のお花。そんな風潮が社会にも家庭にも今より根強かった時代に20代を過ごした私の母親は、周りの女友達がが次々と名字を変え、「新しい家族が増えました!」と記された年賀状を受け取る度に、身を焼かれるほど悔しかったという。

マウント。そんな言葉は当時はなかったけれど、幸せの報告は確かに自慢……未婚者への蔑みを含んでいたそうだ。

罪でもないのに未婚であることを悪く言われた母は、私を産んだけど

若き母は、針のむしろのように「未婚」であることを何も悪くはないのに、罪でもないのに恥ずかしいと責められ、早く結婚、早く子供をと急かされた。けれども当時母親が付き合っていた人には遺伝的な病気があった。

「君のことはとても大好きで、大切だから結婚したい。けれど自分の病気は子供に遺伝すると思う。だから、子供が欲しいなら別れてほしい。これ以上君の人生の時間を奪いたくないから」

結婚を迫る母に、恋人はそう身を引き、泣く泣く別れた母は、真面目で安定した会社員で、なおかつ健康な世間体的に大合格の男性――つまりは父と結婚をして私をもうけた。
やっとみんなと同じになれる、勝ち組になれるとでも思ったのだろうが、これから先がまたも見栄と自己顕示欲の世界だった。通っていた学び舎自体が、なんとなくそんな風潮があった。まるで公園でよく子供たちがポケモンカードの袋を開放し、「みて!これ、レアカード」「すげえ」と見せ合うみたいな感じ。

母の顕示欲を満たせたのは束の間だけ。また顔色を伺う日々が始まった

ママ友同士集まれば、あの子はピアノのコンクールで入賞したとか、あの子は〇〇模試で全国上位になったと火花が散る。
私は褒められる要素があまり無かった。そのせいか自虐の対象として、子供ながらにも自分が削ぎ落とされているのがわかった。誰かが「お前は失敗作だな、出来損ないだな」と野次った。私はただ笑うことしかできなかった。

生まれた、それだけで母の承認欲求というか顕示欲を満たせたのはつかの間で、私はよりいっそう母を幸せにする生き物にならざるを得なかった。

年齢を重ねるごとに、私は文章や絵を書くのが好きだったので度々「小学生〇〇コンクール」の類に出しては入賞し、気付けば全校集会で表彰される常連になっていた。買食いがバレるときも、「忍足さんが」ではなく「コンクールの人が」と言われるほどだった。
飾られる表彰状やトロフィーが増えるにつれて、ママ友の誰かに「すごい」といわれ、母は機嫌を良くした。私はその顔色を伺い、褒められなければ自分には生きている価値がないのだと信じていた。

母は見栄のために私を操り、脱線しかけるとあの言葉を言ってきた

大人というのはちょろく、少し子供らしくすると、相手にいじらしさを食らわせて、慈しんでもらえる。私は必死だった。褒められる要素を失って、存在を見失わられたくなかったから。
けれども更に歳を重ねると、親の期待に応えるのが煩わしくなる。
子供の頃はクラスと大人しか世界がなく、大人のほうが私の心の築年数より長いから、大人の言葉が全てだったから。けれどもアルバイト先やSNS、友達の友達と世界が広がると、母の為にマウントをとる私でいるなんてちゃんちゃらおかしくなる。

けれども母はまだ、私を見栄という言葉の名のもとに操縦したがった。「そっちは世間体が悪い」「恥ずかしい」そんな言葉で私は、ふらふらと進行方向を変えさせられ、少しでも脱線しようとするといつだって懐から伝家の宝刀を出す。
「あーあ。お腹を痛めて産んだ子なのに」
その一言に加えて失望した眼差しを向けられると、私はもう反論する力を奪われる。

その眼差しには、別れさせられた人への未練がまだ残っている。父親の遺伝子の入った自分は、まるで存在を否定された気分になる。ただ愛されて生まれてきたかったのに。

「お腹を痛めて産んだ子」と言われ、母の望む道を選ぶようになった

お腹を痛める、というのはよく耳にする言葉だが、なんなんだろう。海外ならば無痛分娩も進んでいるのにその陣痛神話は。
お腹を痛めたからなんなのだろうか、子供の一生の所有権と隷属権を主張するのだろうか。

けれども私はその言葉を言われる度に、自分がお腹を痛めて産んでもらったにも関わらず期待に応えられない、理想になれない大悪党になった気分で、言われるたびに、母の望む世間体の良い道を歩まされてきた。
行きたい大学は烈火のごとくNGをだされ、世間体がいいほうへ……。進学も、バイト先も、すべて。親という存在は親であるだけで免罪符で、子供はお腹を痛めたなんていわれたら逆らえない。

でも、25を過ぎたらそうはいかない。
最近私が「お腹を痛めて産んだのに」という、伝家の宝刀で切られる理由は、いつだって私が未婚である事や子供がいないこと。
「お腹を痛めて産んだのに、孫の顔も見せてくれない!悔しい!早く産んで!」
今までの操縦されていた進学先や、ご近所さんに恥ずかしくない服装云々とは話が別だ。勝手に結婚相談所の資料を取り寄せられたこともある。
私、孫がほしい?孫がいないと恥ずかしい?かわいそう?

母の承認欲求を満たす操り人形になった私の人生に「私」はいない

そんなことを言われ始めて私は、ようやくどうして私は、私の人生を歩めないのだろうと気づいた。ふと振り返ってみると、私の人生は本当に母の承認欲求を満たす操り人形と顔色を伺うのが全てで、私の人生というのに「私」というのがなかった。

もしそれに気づけなかったら、私は「お腹を痛めて産んだのに」の言葉に首を絞められ、お腹を痛めて生んだ母親が望んでいるのだから拒んではいけないと、母がしたのと同じように可もなく不可もないひとと妥協的に、ただ周りがそうしてるから、それが多数派で、幸せがそれ1択だからと、結婚して子供を産んでいたかもしれない。

本当はまだ結婚も子供も欲しくなかったのに。
母が押し寄せてくる世間体の津波にのまれ、自分の恋人を犠牲にしたのと同じように。母はその未練を断ち切れていない。そんな中で存在している私は、生きているのが苦しかった。もしそれを自分の子供にも同じ思いをさせるとしたら、子供なんていないのに涙が出る。

世間が定義づけした「幸せ=結婚して子どもを産むこと」への疑問

多数派が定義づけした幸せの為に、世間体の為に、結婚して子供を産むこと、それには悪循環という言葉が相応しい。
どうして世間が定義づけした幸せの定義は、結婚して子供を産むことなのだろう。
最高の親孝行として、孫の顔を見せることが位置づけられているのだろうか。
母の頭にはもうそれが刷り込まれてしまっている。だからそれをもう塗り替えることなんて出来ないだろう。そして母を責めることも出来ない。
母が悪いのではない。結婚しているひと、子供がいる人を幸せ、そうではない人を可哀想だと決めつけた世間が悪い。
私はもう生まれてしまっているので、今更死ぬ以外で自分を無に返すことは出来ないけれど、けれどももし時を戻せるのならば、若き両親に私のことは産まないでくれと頼みたい。
妥協して健康な父と結婚して健康な私を授かるよりも、本当に愛する人と子供はなせずとも寄り添って幸せに生きてほしい。

自分の幸せのためにではなく、子どもの幸せを願うことの大切さ

近年、コロナ禍でペットをかったはいいけれど、持て余して捨ててしまうことが社会問題になり、ペットを安易に飼ってはいけない、というCMを目にする。
あれと同じで、子供も見栄だとか世間体だとか自分が幸せになる為に産まないでほしいとぼんやりと私は願う。自分がなぜ生きているのか疑問を持たずに、幸せに子供を生かし育む責任がないのならば、子供なんて産むものではない。

私は、今は恋人はいない。子供を持つことはまだ想像ができない。
それを親不孝だと言う人もいるだろう。けれど妥協と見栄で産まれた私だから、必ずしも子供を持つことが自分の幸せではないと知っている。
子供を持ちたいと願う日も来るかもしれない。でもそのときは自分の幸せの為に、ではなく子供を幸せに出来ると誓い、私の心にこびりついた見栄と妥協というつきものが落ちた日だろう。
その日は来るのだろうか。けれど来なくても私は胸をはって幸せでありたいし、親になった友達や、友達によく似た笑い方をする子供に対しても引け目を感じず笑い返したい。