恋愛が難しくなったのはいつからだろうか?
恋に慎重になり、恋愛の先に「結婚」を意識してしまう。
「好きな人=結婚したい人」となるように、付き合う前から、年収、見た目、性格、色んな面を勝手にジャッジ。
幸せになる事に必死で、最低限の障壁を拭いたかった。なんとなく30歳になる前に、理想の結婚生活を夢見ていた私は、25歳で結婚をした。
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SNSで誰かがプロポーズされたり、入籍した投稿を見ると「この人はいつから付き合って、愛を育めたのだろうか」と、知りたくなって勝手に過去の投稿を遡ってしまう。
だけど、そこには幸せの答えなんかなくて、自分の行為に「結婚=幸せ」のルール化を感じた。
満たされた自分がいなければ、その先の理想の結婚なんてないのだと、アラサー手前バツイチになった今でこそわかる。
そして、必ずしも人を幸せにするものは、婚約や結婚とは限らない。幸せの価値観は人それぞれで、自分らしい生活が送れているかどうかが大切。
とはいえ、家族以外の誰かを愛し続けることは本当に尊く、自分も同じように愛され続けてもらえたら、なんて幸せな事なのだろうとも思う。
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結婚した事で、自分は幸せだと思い込んでいた。
当たり前のように、家事や買い物をして、ご飯を作る毎日。代わり映えしないけど、時間だけが過ぎていく日々を生きるのに必死だった。
自分の好きばかり優先して、現実の彼の事をちゃんと見つめられてなかったのかもしれない。好きだと妥協出来ない事でさえ、目を瞑ってしまうのだ。
こちらから誘わなければ、土日にデートが出来ない不満や、相手の考え方を尊敬出来ない自分の気持ちを無視していた。
彼なりの愛情を全く感じてなかったわけではないが、落ち着きや安心感のある生活は、必ずしも幸せと=にはならなかった。
本当に彼の事が好きで、結婚出来たことは嬉しくて幸せだったはずなのに、次第に他人からの「おめでとう」が苦しく感じるようになった。
例えるなら、居心地の良い鳥籠の中で、空を見つめる鳥になった気分。変化に対して消極的なマリッジブルーかと思っていたけれど、結婚生活は何もない時間の連続だった。
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自分が満たされているかどうかに気を配る事は難しい。
ふと気が付いた時に孤独を感じたり、理由は分からないけど、涙が頬をつたった時に初めて「幸せじゃないのかもしれない」と自覚する。
しかし、物足りなさを感じるからこそ、満たされた時に人は幸せと思えるのではないだろうか。幸せとは、努力して探したり、思い込むものでもなく、ただその瞬間のネガティブもポジティブも全ての気持ちを感じる事。
悲しみや不安を感じることは、悪いことではなくて、影があるからこそ光を感じられるのだと思えばいい。
結婚という見かけや、理想ばかりに囚われる事以上に、相手が自分に何を感じさせてくれるか、どんな言葉をかけてくれるかを、まずは客観的に見つめた方がいい。
どんな感情も受け入れ、自分と向き合う事で、本当の幸せを感じられるのだと願っている。