私は昔から鬼ごっこが強かった。特別足が速いわけでもないのに最後の方まで逃げ切れたのは、そもそも私が鬼に目をつけられることが少なかったからだ。熱量の少ないところを見極めるのに長けているのか、影が薄いのか、隠れるところのない体育館のような場所でも、ぽつんと突っ立っているだけで、私はたいてい生き残れた。走るとしても最後の2、3分だけだった。
今まで、何かに向き合うのを避けたことはあっても、向き合ったことから逃げたことはないように思う。
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受験。毎日最低14時間は机に向かった。常に寝不足で、頭が重くて、それが当たり前だった。
茶道。大学生になって本格的に習うようになると、そこには私が好きだった、自分自身と向き合い、また相手を思いやる、そんな心を浄化するお点前はそこには無かった。よかれと思ってやったことが全て世間知らずの小娘の戯れに捉えられた。表向きは大丈夫と何も気にしていなさそうに振る舞う同じ稽古場の人達が陰口を叩いているのを私は知っていた。
恋愛。初恋は最初から最後までずっと苦しかった。恋が甘酸っぱいなんて誰が言ったんだといたたまれない気持ちになった。
何度もやめたい、逃げ出したいと思った。何度も苦しいと思った。でも、その度に逃げた後で襲ってくるであろう後悔や、屈辱を想像してやめることができなかった。辞める方がよっぽど怖くて苦しそうだと思った。
逃げずにもがいていると周りからは褒められた。臆病なだけの私はいつしか、芯のある、粘り強い人だと言われるようになった。額縁に入れられてしまったら、そこからも逃げ出せなくなった。自分で縛って、そのせいで周りからもっときつく縛られる。悪循環が私の生きる道を強く真っ直ぐに示してきた。
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でも、別に私は流されて生きてきたわけじゃない。逃げずに一生懸命やってよかったと思うこともたくさんあった。続けてきたことで見えた景色がたくさんあった。それに心を動かされるたび、途中で逃げ出した人を思い出して、あなたももう少し踏ん張って続ければよかったのに、勿体無いと思った。私は私の意志で逃げなかった。周りの評価は後からついたものだ。
避けたら自分が取捨選択した道が、逃げなかったら一つの道の先が、逃げたら広く浅い世界が見えるだけ。日本ではやりぬくことが美徳だといわれるてらいがあるけれど、それだって悪しき日本の考え方と思われることが増えてきた。だから別に逃げてもいい。
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ただ、私は逃げないという選択をしただけ。逃げるのが嫌だから。逃げてもいいよと誰かが囁く時、私にはそれがただの甘い魅力的な言葉なんかじゃなくて、魔女が舌なめずりをしながらお菓子を差し出してくるような、そんな不気味さに満ちた声に聞こえた。
自分が望んだことだ。浮浪する苦しさより、一つのことにしがみつく苦しさを選んだのは私だ。なら私は食らいつくのみ。逃げてよかったと思う人がいる中で、逃げなくてよかったと思えるように、逃げるという選択肢を避けて私は今日も生きる。