先を考えることは人生において大切なことだ。
人生一度きりとは本当にそうで、後悔を少しでも最小限に抑える為に。
このままじゃ壊れる。潰れる。
今は、今だけを見よう。
私は仕事から逃げた。

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難しいことは何一つしていなかった。役職も持っていた。社歴も積んで、信頼もある程度重ねてきたつもりだ。これだけ聞くと何の不満があるのかと思うかもしれない。もう少し何かが麻痺すれば辞めずに続けていたかもしれないと今でも思う。
だけど、手にしたようで何も無くなっていた。

真面目に働いてきたつもりだ、その分知っている人は増えたし、私を知ってくれる人も増えた。頼ってもらえるようにもなったし、“仲間と一丸となって”なんて時期も経験できた。
責任だけが大きくなって、それはどうしたって目には見えないもので、だけどあの時はゴールの見えない前なのにそこしか進む道を見つけられなくて、ただ働いた。

せめて動きだけは止めてはいけない、“何もしないやつ”のレッテルだけは貼られないように、ただ感情もなく。その間に何人もの同僚を見送り気が付いたらいくつも無くなっていた。

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一緒に働きたい人、やってみたい仕事、やりがいのある業務や時間何でもいい、私が職場にいる間私とを繋ぎ止めてくれるものなら何でもよかった。探してみたけどもう何も無かった。いくつかの後悔ではっと目が覚めて淡々とそこからは早かった。
もういい。ここから逃げよう。
私があそこにいる間、様々な人や物事が変わった。耳で聞くだけのものもあれば関わったものもあった。

環境や状況が変わっていくのは当たり前で仕方ないことで変化は必要なことだ。そこに対しては全く抗うつもりはない。良くするための変化なら尚更だ。
だけど、長く留まると意思に反して見えてしまうことや察してしまうことがある。

皆それぞれ頑張っている、前に歩こうとしている、考えていたし、戦おうとする人もいた。だけど悩んでいたし疲れてもいて、隣の顔を見る余裕や気遣いが無くなって、足並みなんて揃ってる訳もなく、端から見ても分かる。これを立て直すのは相当なきっかけでもない限り無理だろう。そう、内部崩壊はとっくに始まっていた。

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私は、上司を尊敬していた。いつ話しかけても取り合ってくれて、時にどっちが上司か分からないほどふざけてもくれる人で、この人の右腕になりたいと思った。少し時間はかかったけど、一番隣で働く目標が叶って毎日色んなことが次々に起こるし、感情も目が回るほどだったけど、今思えばあれが“無双状態”だったのかと思うほど、何でも乗り越えられた。自分が強く進めている感覚もあった。

そんな中上司の異動が決まって、物理的な距離が出来てしまった。寂しさと不安は当たり前のようにあったけど、その頃またひとつ昇進していた私はもう少しだけ強くなれていて、別々の場所で一緒に頑張っている人がいる、と自分を立たせることが出来ていた。
次の上司もとても頼れる人で、すぐに砕けた話が出来るようになった。
その頃の私は、思うところが増えてきており、それを消化するかのように上司に話していた。

上司は緩衝材のような人で、どんなにこちらがヒートアップしても正面から向き合い受け止めてくれ、時に上に掛け合い、時になだめてもくれた。とても真似できないと思ったし、だからこそ付いていこうと思った。
だけど、山があれば必ず谷も現れるもので、不穏さは少しづつ大きくなっていた。

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私に異動の話が来た。

いつかとは思っていて、それでもなかなか訪れないタイミングに半ばもう無いだろうと勝手に思っていた頃の話で、理解が追い付かなかったことを覚えている。

正直嫌だと思ったし、未だに理由には納得していない。

だけど、上司の言葉を聞いて、この人もきっとこれ以上何も言えないのだろう。もっと上は何かを考えていて、雇われの私には従うということが最善の選択なのだろうと受け入れた。
やることは変わらない。働く場所が変わるだけだ。一緒に働く人が、上司が変わるだけだ。ただ言い聞かせた。

その言葉はやがて私を助けてはくれなくなった。
表情や感情が分からなくなって頑張れなくなった。
何をされた訳じゃない。ただ何も通用しなかった。仕事以外の全てが。仕事は何の支障も無かった。むしろ環境の規模が小さくなったことで時間にゆとりを感じられた。
それ以外とは簡単に片付けるなら、相性が合わなかった。

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私の話し方か態度か表情か性格か何をどうすれば良かったのか今でも分からない。
ただ思ったことは、ここの人達は人の気持ちや状況を素通りして置いていくことの自覚がないのだということだ。

直接関わりの無かった頃から共感性が無い印象のあった上司とも合うわけが無く、表面上の会話しか出来なくなったのは当たり前のことだ。
そこから少しずつ何かが崩れていくのが分かった。

通勤中に聴いていた音楽はうるさく感じるようになり聴くのを止め、イヤホンは街中の雑踏を聞かない為に付けるようになった。朝は身体が起き上がらなくて遅刻ギリギリにしか出勤出来なくなった。気付いたら会議の時間に間に合わなくて仮病を使って遅刻したりもした。
こんなことが積み重なってある日思った。

私は時間を無駄にしているんじゃないだろうか。
今を耐えることはいつかの糧になるのだろうか。
いや、ダメだきっと私が持たない。
反射的に電話をかけていて、数日後メンタルクリニックに行っていた。
もう十分だろう。何も残っていない。逃げよう。
もう少し早くこうしていればとも後悔したけれど、そんな後悔があの時の私の背中を押したのも事実だ。
私は今あの頃を振り返れるまでに回復した。