舞台女優になりたい。
それが私の夢だった。ずっとずっと周りに隠し続けてきた密かな夢でもあった。

遡ること12年前。小学生だった私は、学校の行事で観に行ったある劇団のミュージカルに胸を打たれた。身体中に電気が走ったように痺れたのを今でも覚えている。あんなにキラキラした世界があるのだと初めて知った。
観劇後も興奮が抑えられず、余韻というものはこれなのだと子どもながらに学んだ。家に帰ってからも公式サイトでプロモーションビデオや舞台写真を何度も何度も見返してはあの舞台へ想いを馳せていた。

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あまりにもあの舞台を忘れることができず、私もあの一員になりたいとさえ思い始めた。だが、九州の片田舎である地元に何かしらの芸能事務所があるわけでもなく、あの舞台への夢はどう叶えていけばいいのかわからなかった。
とりあえず高校では演劇部に入り、3年間やり遂げた。舞台に立つことは楽しかったし、最後の大会で幕が下りた時、この上ない満足感で涙を堪えていたのを覚えている。ただ、引退時、私は高校を卒業したら演劇はやらないだろうと直感的に思った。
実際にやってみると思っていたものと違ったのだ。演じることは思ったより苦しいもので、あのキラキラとした世界の裏側を見てしまったようだった。

とはいえ演劇への興味は消えることはなかった。大学に入ってから、舞台は観る専となり、例の憧れていた劇団の劇場や公演に足繁く通った。しかし、彼らの舞台を観ても不思議と「またやりたい」という感覚は湧き起こらなかった。
そして地元の大学を卒業してからは上京し、演劇や芸能と全く関係のない会社の一員となった。関東に来た途端、私の心にはあるわだかまりがあるような気がした。消えたはずの夢がずっと心のどこかに忘れないでとへばりついているような。そんな違和感を覚えたのだ。

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関東で生活を始めてから3、4ヶ月経ったある日、仕事に向かう途中あるスーツの男性に声をかけられた。
「芸能界に興味ありませんか?」
その瞬間、何か私の大切なものが呼び起こされた気がした。「ここは関東だ」「田舎ではない」と実感した瞬間でもあり、心に残っていたわだかまりが主張を強めて私の前に現れた。
それからはオーディションを受けて、ありがたいことに合格をもらった。夢に近づくことができる――そう思ったのはたった一瞬だった。

思い出すのは高校時代の演劇部のこと。部活といえど、憧れていたものとは違うと悟った私に、プロとしてこの道を歩むことが果たしてできるのだろうかと不安になった。こんな気持ちで合格を受け入れてレッスンを受けたところで夢に辿り着けるわけがない。
かつての私が、迷う心の揺らぎをピタッと止めて、気がつくと私はこの話を辞退してしまった。プロダクションには悪いが、こんな中途半端な気持ちのやつが入らなくてよかったと思う。この瞬間に夢としっかり訣別できた気さえした。

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それからしばらくして、私は関東での仕事を辞めて地元に戻ってきた。今は地元でゆるく事務職をやっている。
誰も私が舞台女優に憧れていたことや、スカウトを受けたこと、オーディションを受けて受かっていたことなど知らない。家族も友達も職場の人も、誰も知らない。私だけの秘密。周りの人は私のことをただ演劇が好きなやつとしか思っていないだろう。

時々「そんなに好きならやってみればいいのに」と言われるが、「私なんか出来ないですよ〜」と半笑いで受け流す。もうこれでいいのだと自分に言い聞かせている。憧れは憧れのままでいることが私にとってはベストな判断で、これからもその気持ちは私の心の中で眠り続ける。
そんなことはなかったという顔で私はまた舞台を観に行く。小学生のあの時に感じた感動をまた追体験するように、まっさらな気持ちのままで。