私が大学生の頃、父が単身赴任をすることになった。 最初のうちは頻繁に帰ってきていたが、だんだんと頻度が減っていき、いつしかほとんど帰ってこなくなった。
ある日、母から「離婚するかも」 という話を聞かされた。父と母が昔ほど話さなくなったことや、その時の単身赴任という名の別居状態から、なんとなく察しはついていた。私は「ああ、そうなんだ」くらいに思った。母がぼそっと、「運命の人かと思って結婚したけど違ったっぽい」と呟いた時は、私は思わず「私、お母さんの子だわ〜!」と吹き出してしまった。自分のドライというか、夢見きれないところは母に似たんだなと思ったのと同時に、夫婦関係なんて所詮こんなもんかと悟った。
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とはいえ、親子関係は昔から良好なままなので、私は両親のことについて特段悩むこともなく、すくすくとここまで育ってきた。ただ、必ずしもすべてが両親のせいではないが、結婚に対する憧れは、今のところ持てていない。
恋愛すること。生活を共にすること。生殖行動。子供を産み育て、後世に子孫を残すこと。親の介護に自分達の老後。これらの項目を、1人の相手とすべてこなさなければならないなんて、無理な話では?と思ってしまう。できなければ違法として罰せられる可能性だってある。未婚の私が想像する結婚生活とは、なかなかサバイバルだ。
大概の夫婦は、これらのうちのどれかができなくなって破綻する。何十年も連れ添っているカップルは、これらのすべてを2人だけで問題なくこなせているのだろうか。それとも、いくつかのできない項目は妥協するか他で補って、関係を保っているのだろうか。愛、もしくはお金があればどうにかなるのだろうか。
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私の周りにいる同世代の人達には、結婚して子育てしている人もいれば、結婚したけど相手に満足いかず不倫している人もいるし、いつまで経っても結婚できないと嘆く人もいれば、独身生活を謳歌している人もいる。
結局のところ、結婚していようがいまいが、自分が納得して楽しむことができる人生を生きることが、幸せなのだと思う。
では、今の私の人生に足りないものとは何だろう。あと何を手に入れたら、どんな自分になれば、自分は自分に納得がいくのだろうか。
どうしたら幸せになれるのか。そもそも、私にとっての幸せとは何か。
とりとめもなく考えては、明確な答えが見つからないまま、頭の中に靄がかかっていき、そのうちどんよりとした重たい空気が全身を包み込んでいく。悩んでも仕方のないことだとわかっているのに。アラサーとは、時々余計なことを考えすぎてしまうお年頃なのだ。
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しかし、私はまだ30年かそこらしか生きていない。たかだか30年で培った知識と経験では、そんな一生かかってもわかるかどうかもわからない問いの答えを、正解を導き出すことなどできるわけがないのだ。
“何を選んでも きっと人は選ばなかったもうひとつの道を想像し続けるんだ”
昔読んだ漫画の台詞を思い出した。大人になった今読み返してみると、大人になった今の方が身に染みる言葉だ。
人生100年時代を生きる私達にとって、先はまだまだ長い。人類最大の問いの答えは、ゆっくり時間をかけて探していけばいい。これから幾度となく訪れる選択の機会に、選ぶ基準となる何かは、きっと自分の中にあるはずだ。
きっと何度も間違えてしまうし、そもそも正解は見つからないかもしれない。
それなら「間違えた先に今があるのならきっと正解だった」と思いたい。完璧が無理ならせめて「終わりよければすべてよし」と言って死にたい。
もしも答えが見つからなかったら、正解なんて自分で作ってしまえ。
案外人生なんて、そんな感じでいいのかもしれない。