「逃げる」という言葉にはマイナスなイメージがあり、この言葉を使うのが正しいか分からない。
正しいか分からないが、私は学校から逃げて良かったと思う。
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高校一年生のある日、私は学校に行くことをやめた。
理由はこれが1番、というものは無く色々なことが混ざりあって苦しくなってしまった。 小学校の時は運動も勉強もなにもしなくてもできたのに、中高一貫の進学校に入った途端そうじゃなくなったこと。女子同士のグループに馴染めないこと。大好きだった人に浮気をされたこと。途中から入った部活に馴染めないこと。家族と上手くいかないこと。
何とか、何とかやり過ごしていたけど徐々に帰宅したら疲れて制服を脱ぐことすらせず寝てしまったり、体がだるかったり、自傷行為をしたりと限界だったようだ。
それでも登校していたが高校1年の始業式の日、教室に入り、なんとなく席が近い友達と喋ってなんとなくの会話をしてその日を終えた。
明日からは仲良い人を決めて、グループに入って、ということをしなきゃいけないと思うともう無理だった。
そして決めた。
「私はもう学校に行かない」
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有言実行、次の日から休んだ。家族は私がおかしいのをわかっていたからか、なにも言わなかった。担任には家族が連絡してくれたようだ。
それからは楽しい生活の始まり、なんてことはない。ベッドの中でまるまって、食事もお風呂もほとんど入らず誰とも喋らず、一日中泣いていた。なんで自分はこんななんだろう、普通にできないんだろう、みんな頑張っているのにわたしは恵まれているのに。
学校に行かないと決めたくせに学校に行かないことへの焦りがあった。それでも体が行かないと決めたように、動かなかった。ただ、ただ長い時間をベッドで泣いて過ごした。調子が良い時は起きて図書館に行こうとしたが、気力を奮い立たせて準備をしてるといつのまにか夕方になっていて行けなかった。
鬱だったのだと今なら思う。
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夏休みになり、担任に呼び出され、人がほとんど居ない学校に母と行った。その頃にはたまになら出かけられるようになっていた
出席日数がかなり危ない、らしい。このままでは退学だということだ。
学校に行くのはこわい、でも行かなきゃいけない。葛藤で本当に苦しかったが、それでも頑張れるとは思わなかった。でも諦める選択も選べない。
決断が出来ないことが苦しかった。
運を天に任せよう。死ななかったらまた頑張る、死んだらおしまい。
結局、私は次の日目が覚めた。体調は1ヶ月以上おかしかったが生きていた。
それから私は遅刻や休みを挟みつつ学校に通い、卒業し、今は「普通」の大人になっている。
不登校だった期間は少なかった。不登校から復帰できたことは一般的には良いことなのだろう。しかし心は少し壊れてしまったようでそれからも自傷はやめられず、何年か経ってから正式に精神疾患の診断もついた。
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私は今心に関する仕事についていて、不登校の子と関わる機会があるのだが、立場上基本的には学校に行くことをすすめなければならない。
学校に通うということは学力や学歴だけでなく社会性や生活習慣を養うために大切なことだというのは知ってる。本人のために大人は学校に行くことをすすめるだろう。
しかし、学校に通うしんどさを抱えられるのは子供本人だけだ。
社会性や生活習慣というメリットとしんどさを天秤にかけたとき後者の方が重かった時は?それでも通わねばならないのだろうか?
私は結局「逃げる」ことを途中でやめたがそれが良かったかはいまだにわからない。しかし、一時期でも逃げられたことは私の心に必要だったと思う。
もちろん学校に通わないことを推奨するわけでは決してない。
ただ、周りは色々言うが人生の責任を取るのは自分だ。
どうか自分のために「逃げる」という選択肢が最後にあることも忘れないで欲しい。