わたしはついさっき、逃亡した。
本当に今さっきである。
午後の仕事をほっぽって帰ってきた。

◎          ◎

何から逃げたかったのだろう。

言われたことを言われた通りにできない、マナーも常識も知らない年上の同期からか、
自分から行動も言動もしない、責任からひたすら回避しているだけの年下の同期からか、
そんなどうしようもない人たちなんか気にするな、自分がいかにうまく立ち回るかだと、わたしだって理解だけはしていることを説いてくる上司からか。

同期をなんとかまとめてうまくやらなきゃいけないという重圧からか、気にさえしなければ良いものをどうしても気にしてしまう心労からか、そんな中でも給料を受け取っている以上、意地でも出さなければならない成果からか。

結局全部背負って、全部中途半端で、全然上手く捌けない自分からか。

あるいは、そのすべてからか。
とにかく、今日、磔にされて正気を保っていることは不可能だと悟った。
だから、逃げ出した。

◎          ◎

それからわたしは、今日を生きるためのエネルギーをどうにかして手に入れなければならなかった。

とりあえず好きなパン屋のパンを食べ、新しいコスメを買い、おしゃれなカフェでケーキとコーヒーを嗜んだ。

そのあとは、バスボムを買って、バスタブに張った湯にぶちこんだ。
弾ける無数の泡を眺めながらお酒を飲んで、茎わかめをつまんだ。

夕方近くにコーヒーを飲んだからきっと眠れないことも、仕事はまた明日だってあるというのにお酒を飲んでいることも、全てどうでも良かった。
否、どうでも良いことにした。

そして、逃げ出せた、という安堵からか、自分を客観的に見ることができた。

バスボムが湯に溶けて消えていくのを眺めるように。

◎          ◎

気づいたのは、わたしが逃げ出したかったのは「孤独」からである、ということだった。

そもそも同期のことをこんなに嫌いになりたかったわけではなかった。
もっと、一緒に頑張りたいと思えるような、支え合って成長し合えるような仲間になりたかった。別にプライベートにまで踏み込むような仲でなくたって、同じ職場で、同じ目的や目標に向かって共に走っていける仲間になりたかった。

それが今や、同じ空間にいることすら苦痛である。

もうここまできたら、何もかも修復不可能なのは理解している。
もう、同期と仲間になりたいとは思わない。
もう、このままで構わない。

ぐちぐち言ったって仕方がないし、同期の不出来を晒し物にできるほど、わたしだって出来が良いわけではない。むしろ悪い方である。
でも、文句の一つや二つ吐き出していないと本当に気が狂いそうだったのだ。

そんな風に愚痴だけを溢しているのだから、上司に諭されるのも当たり前なのである。
だけどわたしだって上司が何を言わんとしているのかわかっているのだ。
分かっているから、説いてくるなどしてこないでほしいのだ。
今ほしいのは、労りなのだ。

◎          ◎

だが、社会はそんなに甘くない。
上司だって出来の悪い部下の心労をよしよし甘やかしている時間などない。

そこあるのは、全てに振り回されて何も出来ない自分だけである。

そこでやっと気づいたのだ。
今、わたしが感じているのは、孤独なんだ、と。
そしてきっと、これからも孤独なのだ、と。

わたしはその孤独に向き合って、歩み寄って、共存しなければならない。

無数の泡となって見えなかった「何か」はちゃんと現れてくれたから。
逃げ出して離れたから、ちゃんと見ることができたから。
だからきっと、受け入れて、懐かせて、躾けることができると思う。

この孤独からは逃げ出さないでいようと思う。