はっきり言うと、私は結婚を望んでいない。
理由はいくつかあるけれど、大きいものは、私が唯一結婚したいと思う人とこの日本では結婚できないからというのがある。
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私は日本のことは嫌いじゃない。住み心地もいいし、観光にでると必ず誰かの優しさを感じるよい国だと思う。海外に行ったことがないから、外から日本をみたことはないが、きっと日本の親切さは世界トップクラスだと思う。礼儀正しい人も多いし、気さくな人だっている。シャイなイメージもあるが、丁寧に接すると大体応えてくれるのが日本の、いや日本人のよいところだ。
ただ、私はこの嫌いではない日本にいると愛する人と結婚することができない。
海を越えた大きな国はすべての州が同性結婚を認めたというのに、日本は同性結婚どころか、男女差についての話を未だにしている。どこまで本気で言われているのかわからないが「出生率が落ちる」「生産性がない」「気持ち悪い」このような言葉でストップしている同性婚の法案は、私が望む時代、生きている時代では成立しないのかもと思ってしまう。そう、思ってつい諦めの気持ちになってしまうことを許してほしい。
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結婚の形は、時代に合わせて大きく変わってきたのではないだろうか。
どれくらいか昔かはっきりしらないが、家柄での結婚などもあっただろう。子孫繫栄の思いだってあったはずだ。しかし、現代ははっきりと違うと言える。一部そのような思いは残ってはいても、多くの人々は恋をし、愛をして、この人と結婚しようとする。
そして余裕のある人や望む人が子どもを作る。子どもを作り育てるのも正直苦しいのがこの日本という国の特徴だ。欲しくてもなかなかできないという人もいる。それでも、この人となら一緒に頑張っていこうと思える人と、結婚をする人が少なくともいると思う。
離婚率の高い日本で、それを維持し続けるのは難しいのかもしれないが、入口は恋愛の延長線上の可能性も少なくはない。そして、私も立派に恋愛をした。愛する人ができた。この人とずっと一緒にいたいと思った。
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それでも、この愛おしい日本では私たちは結婚できない。
結婚がすべてではないことがわかっているが、それは「選択肢」が与えられた人の発言だ。結婚をするかしないか自らの気持ちで決めることができる人の言葉だ。私の場合は、その選択肢すら、なかった。
だからだろうか、結婚願望はとても薄かった。あの人と結婚できないのであれば、意味のない法案だと心から思っていたからだ。確かに私たちは同性で、結婚をしたところで何かが変わるとは限らない。けれど、愛する二人の前にその「選択肢」がないということが大きな問題ではないだろうか。
周りの友人たちが、一人またひとりと結婚していく。
それはとても素晴らしいことだ。しっかりと未来を見据えた二人が決めたことなのだから、その選択に「おめでとう」と心から言いたい。のちにそれが「違った」と言われても、あのときは本気で信じていたというのであれば結婚時には「おめでとう」といい「違った」と言った時には真摯に話を聴きたいと思う。
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結婚というととても大きな決断のような気がするが、今時そこまで慎重にならなくたっていいのかもしれない。だから私は友人たちに「違ったと思ったらいつでも帰ってくればいい」と伝えている。結婚をして変わる関係性がある一方、変わらない関係もある。ただ、それは何度もいうが選択肢を与えられたものだけが選べる人生なのだ。
私のように、結婚の選択肢を与えられず生きている人も多くいるだろう。
しがみつくほど魅力があるとは考えていないが、成人した男女であれば「紙一枚」でできることが、私たちにはできないというのは事実だ。そんな結婚に私は確実に諦めの旗をあげている。
私が結婚したいと思う年齢に、私はきっと結婚できないのだというあきらめの旗だ。そのことを誰かに責められたくない。どうか許してほしい。だって、この愛する日本で愛する人と結婚をするのには、あまりに膨大な力が必要なのだから。