髪を染めてみたい。パーマをかけてみたい。長い髪をばっさりショートカットにしてみたい……。憧れの髪型がある人は、結構多いのではないだろうか。私にもずっと憧れていた髪型があった。
それは、綺麗に前髪を切り揃えた髪型だ。後ろ髪の長さにはこだわらない。とにかく、「綺麗な前髪」にしたくてたまらなかった。
だけど、私は前髪を作ることができない。ちょうど、前髪の生え際のところにつむじがあるからだ。前髪を作ったところで、ぱっかり真ん中で割れてしまう。
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朝どんなに頑張って整えても、数分経つと左右に分かれる前髪。私はそれに心が折れる度、前髪を後ろ髪と同じくらいの長さまで伸ばしてきた。長くしてしまえば、耳にかけたり後ろ髪と一緒に結んだりしてしまえる。私にとっては前髪は無い方が楽なのだ。
でも、しばらく経つと前髪への憧れが再燃してしまう。
「前髪作っても、どうせ割れちゃうよ」
「どうせまた、面倒になるって」
心の中でもう一人の私が制止するのも聞かず、私はまた前髪を作る。それで失敗。結局、また前髪を伸ばし始める。
何度、これを繰り返してきただろう。それほどまでに、私の前髪に対する憧れは強かった。
「前髪がある方が似合うよ」
小学生の時、誰かにそんなことを言われた記憶があることも影響していたのかもしれない。前髪が整った人を見る度に、羨ましくて仕方がなかった。
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おい、つむじ。何でそんな場所にいるんだよ。ぶつけても仕方ない不満をつむじにぶつけながら過ごしていた私だったけれど、ある時ふと思った。
どう頑張ったってつむじの位置は変わらない。それなのに、いちいち前髪のことで気分を下げるのはどうなんだろう。自分の力で変えられないことは、受け入れた方が良い時間の使い方をできるのではないだろうか。
そう考えるようになってから、私は前髪を作るのをやめた。上手くいかないとイライラするなら、最初から上手くいく方法を取ることにしたのだ。無理をしなくなったことで、どこか気持ちが楽になった。
それから、伸ばした前髪をヘアピンで留めることにした。それもできるだけカラフルなやつで。どうせなら明るい印象になる方が良いと思ったのだ。服装に合わせてヘアピンを選ぶのが、朝のちょっとしたルーティンになった。私は今年の夏で二十歳だ。その歳で色付きのヘアピンは子どもっぽ過ぎるかもしれないな、とは思う。でも私は童顔だから、それで良いやと突き進むことにした。
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「幼い印象になってしまったとしても、自分に一番似合う格好をしよう」
前髪がきっかけで、私のファッションの軸ができた。
自分の理想に前髪を合わせるのではなく、今の前髪でできることをする。それだけで毎日がちょっと楽しくなったような気がする。あれだけ憎かったつむじも、今では自分の個性だと思えるようになった。
コンプレックスも違う視点から見れば、愛おしく感じられるようになるものなんだよ。
うじうじと悩んでいたあの頃の自分にそう教えてあげたい。