「インスタ教えてくれる?」。そう言われて内心焦った私

何か知りたいことがある時、検索エンジンで検索するのではなく、「#ハッシュタグ」を用いることが若年層では主流になりつつある昨今において(とうの昔になってる?)、その層にギリギリ含まれる20代後半の私のSNS事情はというと、唯一活用しているのは、「ライン」くらいだ。

先日、「連絡先交換しよう。インスタ教えてくれる?」と言われた時は、「インスタですか……それじゃないとダメ?」と内心ちょっと焦った。

もう少し詳しく話すと、一応フェイスブックのアカウントは持っている。
今から約10年前、マーク・ザッカーバーグの実話に基づく映画である「ソーシャル・ネットワーク」がフィーチャーされた頃。大学へ入学し、離れ離れになってしまった友人と頻繁に会うことが出来ない代わりに、接点を持っておきたいと始めた。
だけど今では、自分も含めて活発に動いている気配は全く感じられない。そんなレベルだ。

習慣がなく、無精者。SNSへの関心が薄い、大きな2つの理由

どうして私はこんなにもSNSに対して関心が薄いのだろうと考えた。
大きな理由が2つある。

1つ目は、私はそもそも写真や動画を撮る習慣がないからだ。いわゆる「映える」料理を食べたり作ったり、またはそういった場所に訪れたとしてもだ。
周囲の人の雰囲気にのまれて撮影したとしても、後から見返した試しがない。友人に、「〇〇ちゃんのスマホの写真フォルダって、全然面白くないねん!!」と言われたほどだ。これは地味にショックだったな……。

2つ目は、無精者のようなところがあるからだ。こまめに自分の近況を人に報告したり、知ってほしいとは思わない。我ながらこの点はけっこう、致命的だと思う。
自ら何かを発信すること以外にも、ツールや方法は違えど、そのフォロワーや「いいね!」の数、相手の近況やコメントに一喜一憂するくらいなら、「しないほうが健全じゃない?むしろ、繋がってるようでその関係って前よりも希薄じゃない?」と冷めてさえいた。

ただこのコロナ渦、不確かな状況において、情報を手に入れること、取捨選択の重要性を一層強く感じるようになった。それと同時に、「世間の人は、一体どんな日常を過ごしているのかな?」「私って取り残されてはいないかな?」こんなふうに感じる瞬間が増えた。

鼓舞されるようなプラスの感情が湧いていることに気付いた

これをきっかけに、インスタグラムを見始めるようになった。すると、高校時代に学年で有名だった美人の同級生らしきアカウントを発見した。
覗いてみると、相変わらず綺麗。ますます美人度が上がっている。加えて、絵に描いたような華やかな投稿の数々。

その近況はというと、仲間と事業を立ち上げ、忙しくも充実しているように見て取れた。もちろん、それが彼女のごく一面であって全てではないのだろうけど、すごくキラキラしている。「これがSNSの洗礼ってやつか……」。正直、ダメージを食らった。

ただそれだけでなく、野心というと大げさかもしれないけれど、不思議と鼓舞されるようなプラスの感情が湧いていることにも気が付いた。
かつて同じ場所にいた同世代が、思わぬ形で活躍している。私にも可能性がある、まだまだ踏ん張れるなと。

SNSとの付き合い方は人それぞれ、千差万別。これまでは、通り一遍の捉え方をしていた。無意識に避けて興味のないフリをしていたのかもしれない。

だけど今は、SNSが持つ発信力、他者と共感し横の繋がりが広がるような作用等、以前よりも惹かれる部分があることも事実。今更ながらだが、自分にフィットするバランスや距離感を掴んでいきたい。