「私、かけうどんで」
その一言が、彼女との記憶の中で一番印象に残っている。
本人にこんなことを言うと笑われてしまうだろうけど、当時の私にとってはそれくらい衝撃だった。
◎ ◎
当時、私は一回一回の食事選びに全力投球していた。
グルメだから美味しいものを食べたい、というわけではない。
「いかに満足度の高い食事を摂るか」ということに、毎回必死だったのだ。
大して好きでもない食べものはできるだけ口にせず、自分が満腹になり、かつ幸せになるようなものを常に食べていたかった。
チェーンのハンバーガー店に行けば、サイドメニューのポテトやナゲットを必ず頼み、ハンバーガーもボリューミーなものをチョイス。
大好きなラーメン屋では必ず麵を大盛りにし、母が作った晩ごはんの量を減らしてでも、デザートに買った大好物のプリンを食べる。
そんな食生活を送っていたから、大学の食堂で友人が選んだメニューに驚きを隠せなかったのだ。
かけうどん?
トッピングも何もなしの、かけうどんをお昼ごはんに?
同じタイミングで、私はラーメンに唐揚げがのったカロリー過多なメニューを選んでいた。それだけでは物足りないかもと不安になって、ポテトも追加しようかと迷っていたくらいだった。
密かに衝撃を受けている私の様子に気付くことなく、友人は楽しそうにかけうどんを啜っていた。
何か会話を交わしたはずだったのだけど、何を話したのかまったく記憶にない。
私の頭の中は、彼女の頼んだかけうどんでいっぱいになっていた。
◎ ◎
彼女はダイエットをしているのかもしれない。
今日は金欠なのかもしれない。
たまたまお腹が空いていなかったのかもしれない。
色々想像を巡らせたけれど、結局確認する勇気は出なかった。
なんとなく、どの想像も間違っているような気がしたのだ。
恥ずかしくなってきた私は、追加のポテトは注文せず、急いで唐揚げラーメンを啜り込んだ。
今振り返ってみると、私は自分の中の欠落感を埋めるため、溜まってしまったストレスを誤魔化すために食欲を満たそうとしていたんだと思う。
お腹が空くことが怖くて、退屈することが怖かった。
来る日も来る日も、食べることで満たされない心を埋めようとしていた。
食べた後に残るのは、胃が詰まるような不快な感覚と、うっすらとした後悔。
それでも、たまに一瞬だけキラキラとした満足感に包まれることがあって、食べるのを止められなかった。
あの日、友人は無理をしているような様子もなく、温かいかけうどんを美味しそうに食べていた。
どうしてかけうどんにしたの?と聞いたら、涼しい顔で「今日はかけうどんって気分だったから」とでも答えそうな風情だった。
彼女の軽やかな生き様がそのメニュー選びから垣間見えた気がして、欲とカロリーにまみれた自分の昼食が恥ずかしくなったのだ。
◎ ◎
五年以上の月日が流れた。
つい先日、家族で食事に出かけた時、和食屋さんでメニューを広げた私は「かけうどんで」と言った。
何の気なしにオーダーしたのだけれど、すぐにかけうどんの友人の記憶が蘇った。
そして、思った。「あ、私、彼女に追いついたのかも」
大人になって、勉強や仕事に追い立てられるようなこともなくなり、自分のペースを考えながら日々を過ごすことが増えた。
毎回の食事も自分の体調に合わせて、「今日はビタミンを摂ったほうがいいな」とか、「頭を使ったから糖分を補給しよう」とか、必要だと思うものを自然と選べるようになった。
家族で長時間のドライブをして、お昼時だからと入った和食屋さん。
大してお腹は空いていないけど、冷房に当たって少し疲れている体に、何か温まるものを入れたい。
そんなシチュエーションで選んだ「かけうどん」は、お腹具合にも自分の心にもぴったりくるチョイスだった。
「かけうどんにするの?どうして?」
珍しい!と言いたげな家族に、私は涼しい顔で言ってみた。
「今日は、かけうどんって気分だったからね」