私のロールモデル。正直このテーマを見たとき、ロールモデルなんていたかしら?と頭にはてなが浮かんだ。そもそもそんなこと考えたことすらなかったかもしれないと。けれどよく思考を凝らしてみると、そんな私にも無意識のうちにロールモデルとしていた人がいたことに気がついた。姉だ。

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人当たりもよく、友達も多い。勉強もできて、音楽の才能もある。俗に言う"なんでもできる人"、それが私の姉である。そんな姉は私とは違い、簡単に周囲の憧れの人となるのである。しかし私にとっては憧れ、という感覚はなく、私なんかがこうありたいと願うのはおこがましいと思ってしまうほど、どっぷりと姉のことを崇拝していた。それは過去も今も、そして恐らく未来も変わらないだろう。

歳を重ねると、だんだんと見える景色が変わり、それまである種ひとりよがりだった世界の中に、様々な人が伺えるようになってくるものだ。かくいう私もその一人なわけで。ただただすごいすごいと崇めていた姉も、初めから"なんでもできる人"であったわけではないことを知るようになった。そこには決して人には見せない、計り知れない努力が隠されていたのだ。

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朝誰よりも早く起き、夜も誰よりも遅くまで勉強を続ける姿。人一倍さまざまな演奏を聴き研究に励む姿。そのどれもが苦労として見えなかったからこそ、いや、そう見せまいとしていたからこそ、私は姉を"なんでもできる人"と捉えていたのだろう。

2歳差。数字を聞けば大したことのない差かもしれない。けれどそこにはいつも大きな反り立つ壁があるように思えてならなかった。姉が何かを成し遂げるたび、その差はますます広がる一方で、私は手も足も出なかったのだ。"なんでもできる人"≠ロールモデルという方程式が知らぬ間に私の頭の中に定着していった。

とはいえ姉の背中を追ってこなかったのかと聞かれればそういうことでもない。むしろ、常に目の前にある姉の大きな背中にしがみつこう、追いつこう追い抜こうと、日々走り続けていたようにも思う。小学校、中学校、高校と同じ学校に通い、同じ委員会、部活に所属し、同じ習い事をし、姉の成し遂げたことはすべて成し遂げたいと、成し遂げねばならぬと自分に課してきた。

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それでもやはり姉の背中はあまりにも大きいものだから、自分には到底叶うはずもないとロールモデルと認識することはなかった。しかし、振り返ってみればこれこそが立派なロールモデルなのだろう。

今はもう、姉も私も社会人となり、それぞれまったく別の道を歩んでいる。二人ともひとり暮らしをし、それぞれに生活がある。目の前に姉の背中を見続けるという環境ではなくなったのだ。

学生の頃とは違う、社会の厳しさに、理不尽さに、揉まれ、踏みにじられ、どうしようもなく涙がこぼれ落ちる日もある。それでも時折立ち止まり、振り返ってみればそこにはこれまで幾度となく越えてきた姉の大きな背中が見える。沸々と湧き上がる気合いとともに、ふたたび私は次の大きな背中を越えるべく、ゆっくりとけれど確実に歩みを進めてゆくのだろう。