私の家族に対する感情、特に母親に対しては、年齢を重ねるごとに変化している。
幼い頃は親を含めた大人の存在は絶対的で、常に正しいと思っていた。他にも様々な要素が重なり、周りの人の顔色や様子を伺いながら過ごしていた。

◎          ◎

その考えが大きく変わったのは、大学進学を機に家族と物理的に離れたこと。周囲の学生の家族との付き合いを見たり聞いたりして、親に対しての不満が心の奥底に無意識で積もっていたことに気がついた。

その不満を親にぶつけてしまったこともあった。私自身、年齢を重ねるに連れて自分の意見を持つようになってから、親と合わない部分があることを知り、これまで受けた言動で「許せない」と感じることもあった。しかし、学費といった経済面をはじめ、未熟な私を支えてくれていたため、関係性を断つということは考えたことがなかった。

私は実家まで距離が離れていることを利用し、コミュニケーションも適度に距離をとっていた。実家にも頻繁には帰省する必要はないな、と思いつつ、月一くらいの頻度で電話をしていた。

◎          ◎

ある日、母から電話がかかってきた。「元気〜?」と聞かれて、「少し疲れてる」って答えたら、「他の人も大変なんだから」と母は言った。「いやいや、大変さの基準って人によって違うでしょ。一般論で答えても何の慰めにもならないよ」と思いながら、母の話を聞いていた。

話は本題に入り、母方の祖父が危篤状態であると知らされた。一ヶ月ほど前からそろそろかも、という話を聞いていたため、覚悟はしていた。この話を聞き、私は自分なりに受け入れようとした。

電話の向こうの母は、悲しみを帯びた興奮状態なのだろうと声のトーンから想像できた。実の父の死が近づいているのだから当然だろう。そのせいか、いや、毎度のことだろうか、母は私に共感を求めてきた。「覚悟しておいて」ってしつこく言うけど、前々から聞いてきたことだから、改めて攻めるように言わないで欲しい。

祖父のことはもちろん悲しいが、私なりに悲しませて欲しいのに、母は「自分と同じくらい悲しんでくれ」と言っているようだった。そのせいか、私も過剰に緊張したり、落ち着かなくなってしまった。

◎          ◎

翌日。仕事が全く手につかなかった。いつ連絡が来てもいいように、仕事中何度もスマホを確認したが、家族からの連絡はなかった。仕事帰り、どっと疲れてしまった。

私だって悲しいよ。覚悟しているよ。でも、私の日常を過度にかき乱さないで。母の感情を押し付けないで。母が大変なことは分かっているけども、私は我慢できなくて、母に電話してこの不満を伝えた。すると母は「はあー…」と大きなため息をついた。

堪忍袋の緒が切れた。そして、母に反論した。これまで思っていたけど言わなかったことも言った。幼い頃からずっと母の機嫌を気にしていた。母は家族の悪口を私に言ってきた。母が大きなため息をついた時は、きっと私が悪いんだと悲しくなった。

母の感情のクッションになってきた。しかし、もう限界だったのだ。親と離れたことで自我を持ち、家族でも受け入れられないことがあると認識した。私は母の子だけど、同情してあげるための相手ではない。

◎          ◎

私は祖父の逝去の知らせが正確に伝わるまで、母を無視しよう、母から逃げようと決めた。母をはじめとした家族のLINEは非表示にした。私の住んでいる地域で大きめの地震が発生したとき、「大丈夫?」と母から連絡が来たが、あえて既読無視した。
ここまで母を避けるのは初めてだった。しかし、そうでもしないと私自身も冷静さを失い、混乱してしまうと思った。

危篤の知らせから一ヶ月半後、祖父は息を引き取った。葬儀に向かうため、新幹線で母方の実家に向かった。道中、偶然出会った「精神的に未熟な親」をテーマにした本を読んだ。いつ読もうかと思っていたのだが、今読むべきだと直感的に思ったのだ。その一方で、祖父の死を悔やんだ。危篤状態から一ヶ月半も頑張ったなあ…。私は静かに少し泣いた。

母方の実家に到着し、家族と合流した。あの本を読んだせいか、母を客観的に見る自分がいた。母はいつも以上に慌てていたし、必要以上に明るく振る舞おうとしていた。母が壊れてしまわないよう、自分なりに冷静な気持ちで葬儀の準備に加わった。
葬儀が終わって私が自宅に帰るまで、電話で反論したことや母から逃げたことを、誰も何も言わなかった。

◎          ◎

非道徳的かもしれないが、私はこれでよかったと思った。悲しむ母を客観的に見て、同情する場面もあったが、「知人A」のような距離感で接する場面の方が多かったかもしれない。
できたら、これからもこれくらいの距離感で家族として付き合いたい。これまで生きてきて、依存しすぎると苦しくなることを何度か経験したためだ。今回もその経験の一つになるかもしれない。

最近は、何でも客観的に捉えてしまう自分が嫌になってしまう。しかし、少なくとも家族関係における荒波を防ぐ方法を、今の私はこれしか知らない。