WBS(ワールドベースボールクラシック)の決勝。
オフィスにいた私は、在宅勤務であれば、仕事をしながら見られるのにと不満たらたらだった。しかし決勝の行方が気になるのは誰も一緒の同じのようで、「〇〇打ったよ!」「今アメリカの〇〇選手を抑えた!」などと、オフィス中に興奮気味に実況中継をする人がいた。
その後、オフィスの一画から「おおおおーーー!!!勝ったー!!!!」などと歓声があがり、日本が優勝したことを知った。
仕事が終わり、帰宅してニュースを見ると、「憧れるのをやめましょう」と日本のあるスター選手が試合前にチームメイトに声をかけたことが、しきりに報じられていた。「どこまでも主人公やんけ」、そう思った。
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超えるためには憧れるのをやめなければならない。そんな意味が込められているであろうその言葉を、聞いて私はある人を思い出した。姉のことである。
多くの妹や弟がそうであるように、幼い頃私は姉の後ろにくっついて回り、なんでも真似をした。
病弱で陰気、友達が少なかった私。そんな私より3つ年上の姉は、走らせればリレーの選手に選ばれ、勉強させればそれはもう賢く、音楽や美術センスも抜群で、そして何より友達が多かった。
性格が悪ければつり合いも取れたのかもしれないが、生まれたばかりの年の離れた弟や私の世話をよくみる優しいしっかり者で、共働きの両親を助けるため家事を完璧にこなしたあと、自分の宿題をしながら私の宿題の面倒をみてくれた。完璧すぎたのである。
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小学校でも存在感のあった姉。その後に入学した私は、姉の友人や姉を慕う下級生から、「姉2世」と呼ばれ、名前すら覚えてもらえなかった。そんな扱いにあまり腹を立てるわけでなく、私はただひたすら姉が好きで、尊敬して、「姉のように」なりたいのではなく、「姉に」なりたかった。
だからなんでも真似した。でも、何をしても姉のレベルに達することはなかった。コピーはオリジナルに敵うことはなかったのである。大好きな姉のようになりたい、ライバルは姉。でも決して勝てない、所詮「姉2世」なのだという屈折した小学生が爆誕した。
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でも、姉をただ真似るだけはやめようと、私に決意させる出来事があった。それは文章を書くことについてであった。私たちの姉弟は毎年、母の日や父の日や誕生日に色紙に寄せ書きをしていた。姉が書いた文章はいつも私が書いた駄文より、優れていて面白いような気がして、いつも私は寄せ書きをするのは姉が書き終わったあとにした。
それならば、姉の書いた文を参考にできるからである。ある年いつものように、姉の文章をうっすらと真似た寄せ書きをした。それを読んだ母は、色紙からゆっくり顔をあげると、またしてもゆっくりとこう言った。
「まよ、これお姉ちゃんの文章真似たでしょ。私はまよのまよらしい文章が読みたいな」、と。その言葉がなぜか凄く恥ずかしく、心に残った。私が姉より唯一熱心に取り組んでいたことが、本を読むこと、そして文章を書くことであったからだ。
姉への憧れで盲目になっていた私は、自分が好きなことに関しても、自分を見失っていたのだ。進学する区立中学を選択する時期が近づいていた私は、「もう姉と比べられないところへ行こう」と思い、別の中学を選択した。
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現在姉は32歳に、私は29歳になった。
今の私たちは、あまり相互のことを写真や表面的でしか知らない知り合いからは「対照的な2人だね」と評され、付き合いの長い友人からは「根本は似ている」と評される。
聞き上手の姉と話し上手の私、でも、お互い話しあいたいことは同じテーマ、のように。根本の種は同じところにあり、そこから自分らしい別の花を咲かせているイメージであろうか。
今の私の夢は、いつか文章を書くことで生計を立てること。そのために、今はきっと自分らしい文章を書いているはずだ。そしてそれを一番楽しみにしている読者の1人が、姉なのである。姉は、後ろをついていく憧れのロールモデルではなくなったけれど、それは姉の前に行き超えるためではなく、横に立ってお互いを支え合えるようになるためであって。
ロールモデルは、もういらない。自分の手で生み出す文章で、私は私の道を切り開く。