私が20歳のときのできごと。
これは自分の20代をかけてゆっくり解釈していくものなんだろうなぁと思うけど、だんだんと記憶は薄れていく。エッセイを書いていく中で何度かこの時期について書くことになると思うが、まずは「逃げ」というテーマで書いてみようと思う。
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私は18歳で上京し、演劇を学ぶための学校に入学した。
私の2つ上の男の先輩。
黒いTシャツにシルバーのネックレスをしていて、いつも黒いキャスケットを被って便所サンダルを履いているような人だった。
なぜかこの人は、私が才能があると見出したらしい。少々強引な人で、私を色々な場所に連れ回したり、色々な経験をさせようとした。
当時の私にとって先輩が見せてくれる景色は新鮮で楽しくて、何より先輩が私に期待してくれているらしいということが嬉しくて誇りだった。
学校での稽古が終わると、22時からカラオケに集合して先輩に演技をみてもらう。
先輩の指導は難しいこともあったけど私にスッと入ってきた。先輩と一緒に、台詞のひとつひとつを解釈していく作業が好きだった。先輩は学校の公演ではほぼ毎回主役を務めるような華のある人だったし、技術も持った人だった。私はそんな先輩を尊敬していた。
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卒業後は先輩の提案で、先輩が働いている小さなパーソナルトレーニングジムで働きながら、俳優になるための演技指導だったり、身体や心を鍛えよう、ということになった。
ジムでの先輩はかなり厳しかった。
自分の内向的な部分を変えるというのは苦しい。本当に苦しい。
いくら他人に言われたからってすぐ変えられるものではない。
私は泣いてしまうことが増えた。
でも先輩は私に期待しているからこそ言ってくれるんだ。
私の将来の話もたくさんした。
こんなに私と向き合ってくれる人はいない。
私は先輩がいないとどうしようもなかった。
起きる時間も食べるものも全て管理され、その中で生きていた。
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ジムの帰り道、スーパーに寄る。お肉は食べない。
動物が殺された時の記憶も一緒に食べてしまうと先輩が言ったから。
先輩が良いと言ったことをやり続ける生活。
だんだんと、自分が本当に存在しているのかわからなくなった。
私は先輩に死ねと言われれば死ぬのかなぁ、
自分の好きなものがわからない。
しにたい、しにたい、一歩一歩、歩く毎にその言葉が頭で鳴った。
それをかき消すためにどうでもいいYouTubeをみてむりやり眠った。
そんな生活を1ヶ月過ごしたある日、
「あ、今日は休もう。」
なんかもう、今日はいいや、と思う日があったのだ。きっかけなんてない、本能みたいなものだった。
無断欠勤して、先輩からの電話も無視した。
今日は、全力で逃げよう。
そう決めた瞬間、頭の中の死にたいコールが鳴り止んだ。
うーん、これが自由、なのか。
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先輩から、逃げた。
変わらなきゃいけない自分から、逃げた。
人生で初めて、他人に迷惑をかけながら逃げた。
空が晴れてることを久しぶりに感じた。
世間はコロナ禍でみんなマスクをしてることにやっと気づいた。
スーパーでお肉を買って焼いて食べた。
あの一ヶ月、わたしは他人の世界で生きるという経験をした。
私は先輩がいないと生きられなかったし、先輩は私のことを、自分が生きてる象徴のように思っていたのかもしれない。
簡単な言葉で表すと、「共依存」の関係にあった私たち。
自分の世界を取り戻すには時間がかかった。
しばらくは、心の奥底に先輩が存在していて、言われた言葉を繰り返し思い出していた。
新しいことに挑戦しても結局はあの時期をなぞっているみたいだった。
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最近やっと、そこからも抜け出せつつある気がするのだ。先輩の言葉ではなく、自分の感覚で、物事を受けとめられるようになった。ここまできて、わたしはやっと一人になれた、そんな感覚がある。
だからこうして文章に起こすことができるようになった。
その時期の私をそっと見守ってくれていた友達がひとりいて、その子がゆっくり時間をかけて私をもとの世界に連れ戻してくれた。一生頭が上がらない。
そんな友達がいる世界なら、私の世界も悪くない、と思う。
私は私の世界を生きていく。
誰かが望んだ世界から逃げだして。