突然、PCを打つ手が止まった。これ以上動かすと、なにかいけない場所に突入してしまうような、そんな感じがした。
そうして私は休職することになった。
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確かに長時間労働はあった。1:00、2:00、オールをしたこともある。でも、なんとか目の前のイベントのため、乗り越えてきた。
周りもそれを普通にこなしていて、落ち着いている日は飲みに行ったりしている。体力オバケだ。私にはそんな真似はできなかった。
パワハラもセクハラも一切ない、良い人達が集まった職場なのに、いつも「なにか間違えるんじゃないか」「こう思われるんじゃないか」と恐ろしくて、びくびくしていた。自分の選んでいた仕事だったがなんでかいつも「ちゃんとしないと殺される」みたいな強迫観念の中で仕事をしていた。
そんな状態で、4年半も仕事を続けた。
この世界で一人前になりたいと強く思っていたからだ。
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私はPRコンサルタントだった。誰もが知っている企業の広報を代行する仕事に誇りを感じていたし、「どう見せるか」を考えるのは楽しかった。だから一人前になりたかった。
”考えること”自体は楽しかったが、なかなか企画はやらせてもらえなかった。それよりも上は私に営業をやらせたがった。私は営業が得意だったからだ。結果は出る、出す。でも、とてもつもなく嫌だった。身を削っているような、自分の尊厳がなくなっていくような気持ちで営業をやった。
ずっとやりたくない、企画をやりたいと言っていると、今度は事務方の方の仕事をするようになった。こちらはとても苦手で、ミスばかり。
でもいつか企画をやらせてもらえるように、仕事をがんばっていた。
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なぜ、苦手なことばかりのこの仕事に就いたのか。理由はたくさんあった。
まず、仕事内容自体への興味だ。
PRという仕事に興味を持ったのは、演出の楽しさに気づいた時だった。
元々ミュージカル女優を目指していた私は、ミュージックスクールに通っており、そこでライブや舞台の演出もやっていた。
「何をどう見せて、何を見せないか」考えるのは楽しかった。
ライブや舞台の演出はお客の数時間の視野を演出する。だが、PRは社会の雰囲気を演出する仕事だ。駅の広告、テレビ、CM、SNS広告やWEBメディアの記事まで、生活の中の至る所に手を加えることができる。
とても楽しい仕事なんじゃないかと思った。
そして、その過程で、大衆が何に注意を引かれるのか、興味を持つのかを考え抜く。大衆心理について深い理解が得られるように思った。
次に、欲しい能力が手に入りそうだったから。
会社説明会でのプレゼンテーション、場の作り方、演出一つ一つに気配りを感じて、意図が張り巡らされている。ずる賢さ、巧みさを感じて、「それ、ほしい」と直感的に思った。
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最後に、社会科見学。
私は我ながら思想が強いタイプだった。もっと良いものが食べたい、もっと綺麗になりたい、もっと良いものが着たい、もっと旅行に行きたい。そういう気持ちが全く分からない。
クラスに一緒にいたら絶対に仲良くならないタイプ、だけどちょっと憧れるような、いわゆる"陽キャ"の集まりだった。そういう人たちの考えていることが知りたかったのだ。
4年半経った時点で、大衆が何に興味を持つのかはよく分かったし、社会科見学もよく出来たような気がした。
入社当時の目的は果たした。
そして、冷静に考えて持続可能でないし、苦手なことをやっていてもこの先大成するとは思えない。月並みな言葉だが、得意なことを伸ばす方がずっと効率的だし、周囲にとっても良いだろう。
そして何より誇りを持つことができる自分になれるのではないか。
そんな理由で、休職から戻ることなく、仕事を辞めた。
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側から見たら、私は逃げたのかもしれない。
「逃げる」という言葉は、なんだか「臆病な気持ちのせいで、絶対に越えるべき壁を避ける」というようなネガティブな意味合いを感じる。
でも私は、「逃げること」は、新しい別の道を探すことなのだと思う。
私の場合、自分をすり減らすようなことをやめ、自分らしくあるための道を探すことを選んだ。
みんなが須く越えるべき壁なんて存在しない。
ただ目の前にある壁が、越えるべきものかどうかを見極め、"This is me"と思える道を歩いていくことが重要なのだと思う。
もしかしたらそれは、目の前の壁を越えることよりも難しい挑戦かもしれない。